小説|なまえ-ろっかけ
***樹
鈴菜は10個下の妹だ。今年13歳になる。と言っても去年父が再婚した相手の連れ子だった。家族の話を人にすることはあまりなかったが 橘鈴菜という名前を聞いて思わず口を滑らせた。
俺はもう家を出て一人暮らしをしているからスズと話をすることは少なかったがそれでも可愛い妹だった。ずっと前から知っていたような。守ってあげないといけない儚さのようなものを纏っている少女だった。
そしてその命も本当に弱々しく、今年に入って体調を崩しベッドから起き上がれなくなり、入院をしている。週に一回お見舞いに行っていて、前よりも会っているのに会話をすることはほぼできない。悲しい妹。血も繋がっていないのにどうしても気がかりでお見舞いに行く。だけど身体を心配しているというよりは、気づいたらどこかに消えてしまうかもという不安から、定期的に様子を見ることにしているような気もしている。
そして一昨日、病院で高橋輪太郎にあった。
スズの病室で本を読んでいると扉をひく音がして振り返ると同年代くらいの男がいた。
男は驚いた顔をして立ちすくんでいた。
「どうかしましたか。ここは橘鈴菜の病室なんですが。」
返事が帰ってこない。
「あの、、、。」
「あ、すみません。橘鈴菜って知り合いがいてもしかしてと思って思わず、、。失礼しました。」
会社のドライバーが怪我をして付き添いで病院に来ていたのだという。
たまたま橘鈴菜という名札を目にして思わず来たのだという。
スズの友好関係は知らないし、追い返すのもかわいそうなので病室に招くことにした。
「どうぞ。あなたの知っている橘鈴菜かわかりませんが。」
おずおずとベッドに近寄る男。
「俺の知ってる橘です。多分、、。」
しばらく立ち尽くしてスズの顔を見た後、ようやく名乗った。
「自分、高橋輪太郎と申します。突然失礼しました。昔の同級生にそっくりです。その時のまま、、。橘さんはいつから?」
「もしかして芝杏果さんを知っていますか?」
「え?」
「いえ、すみません。あなたのお名前を聞いてよく後輩から聞く名前だなと思いまして。樹宗一と言います。スズがこうなったのは去年です。苗字が違うのは父の再婚相手の子で、正式には手続きしてないので病院での苗字は橘なんです。」
「そうだったんですか、、。去年、、。杏果は幼馴染です。あなたが樹先輩ですね。俺もよく話聞いてます。こんなところで会うことになるとは、、。」
「宗一でいいよ」
では宗一さんで。先輩なんで、と気さくに彼は言った。自分のことは輪太郎と呼んでくれと。輪太郎は初めてあったような気がせずこんな出会い方でも言葉がすらすらとでた。
葡萄畑の研究の話をしたり輪太郎の仕事の話を聞いたりした。ずっとこういう弟が欲しかったなあと思っていた。男友達も少ない俺にとっては自分のことを話したり、仕事の話を聞く時間は久しぶりだった。でもスズのことは最初以外質問してくることはなかった。
「すみません、突然来て長居してしまって、、。お見舞いの品まで食べちゃって、、。」
「全然いいんだよ。俺も輪太郎にあえて良かった。久しぶりにたくさん話したきがしたよ。また来てくれると嬉しいけど。」
「いえ、多分また来ることはない気がします。すみません。あとすみません、一つだけ。橘のことは杏果は知ってるんですか?」
「いや、話したことないよ。」
「そうですか。よかった。杏果、昔すごく仲よくて、ショック受けると思うんで言わない方がいいかもしれないです。」
「うん、わざわざ話すつもりはないよ。気遣いありがとう。輪太郎は、、スズにあえてどうだった?」
「、、、。よくわかりません。昔のことなので覚えてないことも沢山ありますが。でも宗一さんと話せた時間は橘が引き寄せてくれたような気がします。それにちゃんと聞いてたんじゃないかな。所々相槌を打たれてたようなそんな感じもします。変ですかね?」
「いや、俺もそう思う。スズが輪太郎をきっと呼んだんだろうね。そして話もちゃんと聞かれてたきがする。」
「よかった。ほら、ちょっと笑ってる気がする。では、失礼します。」
不思議だった。そう、いつも何も反応してないようなスズだったが、輪太郎と話している間は、ちゃんとそこにいるような感覚だった。そして帰り際に輪太郎が言った通り、そこには表情があった。驚いた。
「スズ、、早乙女スズ。よかったな。」
***杏果
「樹先輩、橘鈴菜を知ってるんですか?」
驚いた。同姓同名だろうか。鈴菜ちゃんは10年前に姿を消している。
「ごめん、同じ名前だったからつい。今年13歳になる血は繋がってない妹だ。歳が違うね。」
「びっくりした、、そんなことってあるんですね。」
「そうだね、俺も驚いた。それじゃあ葡萄畑、行こうか。」
「そうでした、行きましょう。」
まだ枝しかない葡萄畑は少し寂しい感じがするけど、脈のように広がる枝も近くで見ると面白い。面白いと思うのは、やっぱり私は葡萄オタクなのかもしれない。
樹先輩に伊盧夫教授との先日のミーティングの話をした。今考えてるスケジュールのこと。今の研究は私で終わりにしようとしていること。
「今年必ずブルーの実がなるよう、丹精込めてこの畑を育てます。もし実らなくても、研究としては終わりにしたいと思ってるんですが、いいですか?」
「なぜ研究を引き継ごうとは思わない?」
「勝手でごめんなさい。先輩はやっぱり引き継いで欲しいですか。」
「いや、今は芝子の研究だから任せる。俺がやることはやった。できれば来年、実験が成功して無事ブルーの実がみのるのを見てみたい気持ちはあるけど。俺、一度もみたことも食べたこともないからさ。正直引き継がない理由は、聞きたいかな。」
***
伊盧夫教授との話を思い出した。ミーティングの後、その日遅刻しそうだったために食べ損ねたお昼ご飯を食べるため、コーヒーとサンドイッチを求めて食堂に行ったのだ。ガラガラの食堂で伊盧夫先生が鯖定食をがっつり食べていた。
びっくりして思わず向かいに座ってしまった。
「あれ、芝さん、何ご飯ですか?」
「お昼ご飯です。」
伊盧夫教授はにっこり笑って自分もそうだと言った。授業と面談続きで食べ損ねたらしい。私とは理由が違う。だけどそれは気にしないことにして、研究のスケジュールについて相談した。
「せっかくのお昼にすみません。今日の研究スケジュールの件ですが、少し相談してもいいですか?」
「いいですよ。いつだって話は聞けます。」
伊盧夫教授は箸を置いて話を聞こうとしたので食べながらでお願いしますと言った。
「今日、来週のミーティングで再スケジュールを説明すると言いましたが、本当は実験成功のレポートを仕上げるには今年の葡萄の実り次第で不可能な場合があります。その時は交配の方法と可能性の提示で終わります。」
「それでも、引き継ぐつもりはないんですね。」
「はい。この研究は私の家の葡萄畑で一本、数年に一度ブルーの実がなる木があり、小さい頃に食べたのがきっかけで始めました。変な妄想かと思われるかもしれませんが、亡くなった母もこの葡萄について何か知っているようでした。私が初めて見つけた時に、母はその実を初めてみたと言ってました。そして母が亡くなった次の日に私は人生で二回目にまたブルーの実を見つけました。母が亡くなってから3年に一度くらいの頻度で実がなるようになりました。気まぐれで、母の命を奪った木です。ブルーの実ができる謎を解明できたら何かわかるかもと、本当はそれだけです。そんな研究、他の人には引き継げません。」
「芝さん、顔をあげてください。」
私は下を向いたまま話していたことに気づき顔を上げた。伊盧夫教授は全部食べ終わって箸を置いて言った。
西陽が食堂に差し込んでくる。
「あなたの研究は樹くんから引き継いだ研究です。芝さんの研究であり、芝さんだけの研究ではありません。あなたの想いがあるように樹くんがこの研究を始めた訳、あなたに引き継いだ理由をきちんと消化した上での判断でしょうか。」
伊盧夫教授のいう通りだった。そんな当たり前のことを、私は自分でいっぱいでおざなりにしていた。そもそも研究を引き継ぐ時に始めた理由を聞くべきだけど、聞いたら私の動機も話さなくてはならないから避けてきたのだ。
「教授の言う通りです。樹先輩と話す必要があります。」
「泣くことはありません。樹くんは反対はしないと思いますよ。ただ、研究を終わらせることは説明しておくのが筋というものです。」
***
「樹先輩、伊盧夫教授って不思議ですよね。なんでも見通されているみたい。研究のこと、樹先輩とちゃんと話すように言われました。」
「教授と個別に話したんだ、珍しいね。」
「食堂でたまたま会ったんです。あの人鯖定食を食べてました。なんか面白かったです。」
「確かに。あんまご飯とか食べてるイメージなかったな。」
「そうなんです、変な感じしました。」
そして私が研究をしている理由、そして私が終わらせようと思った理由を話した。
「、、、それにさっき言ったように不思議だけど私の昔の同級生の橘鈴菜に会ったんです。そこで青い実を作ってはいけないと言われた。それが終わらせる理由じゃないけど、ずっと引っかかっていたことを指摘された気がしたんです。あの魔法のようなブルーの実を人が故意に作れるようになっていいのか、本当は私は作れないことを証明したいんじゃないかって。私はその実を食べたことがあります。でもその奇跡が、この手で作り出したらもう奇跡ではなくなってしまうような気がするんです。私がブルーの実に拘っているのはそれが私の家で実るからです。他の誰かが作り出せることも正直望んでいません。だけど、樹先輩が研究を先に始めていた理由も私に引き継いでくれた理由も聞かず、自分勝手に考えてました。ごめんなさい。」
「話してくれてありがとう。俺も全然話してなくてごめん。」
「いえ、、。」私は自分のことを一息で話す間、樹先輩は黙って聞いてくれた。
「俺のことも話さないといけないな、困ったなー。」
樹先輩は人差し指で頭をぽりぽりしながら恥ずかしそうに言った。
「無理に話さなくても大丈夫です。ただ、研究をどう終わらせるかは樹先輩にも納得してもらう必要があったので私のことを話しました。」
「いや、話すよ。だけど俺自分の話とか、説明するの苦手だから理解できないかもだけど。超省略されちゃってるかもだけど。」
「頑張って聞きます。」
***樹
「とりあえず、変な話だと思って聞いてほしい。」
芝子はなんですかそれ、と自分のことは棚に上げて笑った。
つられて自分も笑う。
「俺が研究を始めた理由、、。最初は父が植物学者で青い薔薇の研究に携わっていたから、俺も絶対に作れない色素に興味を持ってた。葡萄にしたのはこの辺が名産地ということもあるし、葡萄好きだし、っていう安直なきっかけ。でもスズ、あ、俺の妹のほうね、スズと会ったくらいだったと思うけど同じ夢を見るようになった。」
「夢?」
「そう、スズの体がぼうっと青く光っていて、なんか透き通ってしまうくらい。スズは俺の妹なのに夢の中では早乙女スズと名乗った。それで俺はスズが消えて終わないように何かと契約をしなきゃいけないんだ。何かって言うとわからないんだけど、スズを留めておくためには俺は一生秘密を守り、この子を守らなきゃいけないと誓うんだ。なのに誓い終わって手を伸ばし触れた瞬間、消えちゃうんだよ。」
「どうやって誓ったんですか?」
「わからない、夢だから。でもとにかく必死なんだ。」
「夢って不思議ですよね。辻褄合わなくても夢を見ている間は正しいんですよね。」
「そう、そうなんだ。」
「それで、その夢が理由?」
「そんな感じ。その夢を覚えるくらい何回も見るもんだから、あ、この研究ちゃんとやんなきゃって。青い光を守る誓いでも立てたのかもしれない。そしてそこに興味を持った後輩が入ってきたわけだ。しかもブルーの実がなる木が家にあるっていう。」
「私ですね。」
「うん、俺が完成できなくてもこの子に託そう、ってそう思った。」
「自分で終わりにしようとは思わなかったんですね?」
「うん、それと、終わりにできないのがわかっていたと思う。」
「なるほど。。」
「だから俺がやりたいところまではやったし、芝子に引き継いだことで終わりは芝子が決めて良い。もちろん、手伝えることは手伝う。」
「ありがとうございます。樹先輩の話も聞けてよかった。今年、もしブルーの実がなったら、取る前にすぐ知らせます。食べていいですよ。」
「え、いいの??」そんな何年かに一度現れるような実を易々と人にあげていいんだろうか。
「いいんですよ。」芝子は笑いながら言う。
「シェアしたいんです。あの味を。私は食べたことあるから。」
「幼馴染の輪太郎は?」
芝子はちょっと驚いた顔を一瞬して
「ないですよ。勝手に食べてない限り。私の親も食べてないから私が知る限り食べたことあるのは私だけ。」
「そうなんだ。これまであげてないんだ。」
「別に、意地悪じゃないですよ。父は見つけても食べなさいって言ってくるし、房をとってしまうと気づいたら普通の色になってしまうんです。木に実ってるときに直接食べる必要があります。だから、知らせたらできるだけ急いで来てくださいね。」
「それは初めて聞いたな。収穫すると色が変わるか、、。交配する時には色が変わってるってことだね。」
「そうなります。そうでした。実験に使うのでやっぱり食べさせてあげられません。」
「そのこと忘れてたのか。」
真剣なのか、間抜けなのか、なんだかおかしくなった。
食べてみたかったな、ブルーの実
「今年無理でもまた食べれますよ。必ずいつかまた実ります。」
「そうだといいな。」
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