「やろうとする」と「やる」
「やろうとする」のではなく、
「やる」。
「やろうとする」には葛藤がある。
「やる」には摩擦がない。
これは、とっても、真理〜!と思う。
わたしの人生は「やろうとする」が多かった。
やりたくない、けれど
やらなければならない(と思っている)。
葛藤があるから、当然しんどい。
しんどいことは、はかどらない。
しんどいことは、クオリティも低い。
しんどいから消耗し、
他のことをするためのエネルギーが
不足してしまう。
当たり前体操。
当たり前なのに、
他の人と同じようにしなければならない
ルールに従わなければならない
と思い込んでいて、
できない自分はだめだと責めて
鞭でビシバシ。
やがて枯渇して一歩も動けなくなる。
そりゃしんどいよなぁ。
ブレーキとアクセルを同時に踏んでいたら
進むわけがない。
わたしはどうやら「従う力」が強くて
やりたくないことを
やりたくないタイミングでやるだけの
忍耐(あるいはおそれ)を持っていた。
みんなわたしをまじめな優等生だと
思っていたようだけれど、
自分の意思を無視して無理矢理従っていただけ。
当時は無理矢理とも思っていない。
楽しくはなかった。
消耗してたんだなぁ。
「やろうとする」のを諦めて
「やる」時を待つ。
すると、摩擦がなくてスムーズ。
「やる」時なんてこないかと思いきや、
不思議とやって来る。
ちょっとお皿を洗わずに放置したって大丈夫。
そのうちやろうとも思わずに
勝手に身体が動いてくれる時がくる。
いつでも「やる」時を待ちたい。
目の前の「やる」を優先したい。
そういう生き方をしたい。
やりたくないことを「やろうとする」より
やりたいことを「やる」人生であれ。
過去の体験があってわかったこと。
人生って愛しいね。
わかるようになる、選べるようになるには
その反対を経験しなきゃいけないけれど
その時は悲しくてつらくて苦しいけれど
いつか自分で選び体現する喜びが
やって来るんだなぁ。
今日も生きててよかったと思える。
ありがとうわたし、ありがとう推しくん。
まだもう少し、生きてみようと思う。