難病がくれたもの
私は突如、難病患者になった。
ある日、突然。
話す必要があるときには難病患者であることを人に話すのだが、
みな決まって同じ表情をすることに気づいた。
困ったような表情をして、
『それは………なんと申し上げたらよいか💧』
と顔に書いてあるのだ(笑)。
そりゃそうか。
…そりゃそうだわな(^^;)
だけれど、難病はたくさんの出会いを与えてくれた。
病気になっていなかったら、生涯(もしくは数十年)出会わなかったであろう個人との関わりをもたらしてくれたのである。
それはたとえば、担当医でだったり、入院患者であったり、理学療法士であったりするのだけれど。
一般に、『難病なんかにかかるのは不幸だ』とか『かわいそう』だとか思われているだろうが、
私にとっては新たな世界を開拓させてくれた存在なのだ。
これから先のことはわからない。
初診の救急外来では、将来臓器移植が必要だと言われた。
この宇宙には無数のパラレルワールド(並行現実)が存在するらしい。
難病にかかっていない、または“まだ”難病にはかかっていない私もどこかにいるのだろう。
だが私は、また選べるなら、難病にかかる並行現実を選びたい。
あの日と同じ、あのタイミングで、あの病院のあの場所で宣告される道を選ぶのだ。
そのくらい、難病と私は切っても切れない深い関係にある。
世間的に不幸だとされている災難でも、
当人にとっては、
『後になってみるとそれで良かった』
と思える出来事もあるということだ。
きっと、誰しも一度は、そういう経験があるのではないか。
そして、もし思い当たることがあるならば、
そのイベント(出来事)に対して感謝してみよう。
“それ”は間違いなく、いまのあなたを形作る一要素なのである───。