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アダルトチルドレンについて考える
今の時代、人の心を楽にするための障害の名前や病名、書籍なども増えてきたと思う。
私はそれらを甘えだと思ってしまっていた。
その中の一つに『アダルトチルドレン』があった。
不意にSNSで流れてきたそのワードから目が離せなくなっていた。
昔から感じていた生き辛さ。
虐められるわけでもなく、誰かに嫌われるわけでも無いし上手くコミュニケーションが取れる方だとは思う。
だけど人の輪にいることが本当に苦手だった。
純粋に人といることが楽しめなかった。
その生き辛さの理由など考えたことがなく、私自身の人間性の問題と思っていた。
でもその人間性には、『アダルトチルドレン』というものが関わっているのでは無いのかと考え始めた。
私は昔から不自由なく育てられてきた。
でも、両親は不仲だった。それも強烈に。
小さい頃から笑った記憶はほぼ無く、家族が揃った記憶ももう殆どない。
物心ついた頃には取り返しのつかない家庭環境になっていた。
両親が不仲なストレスは、幼い頃から嫌というほど触れてきた。逃げられなかった。
目の前で行われる怒鳴り合い、不仲なストレスから過敏になった神経で少しのことで激昂された。
『あんたなんか死ねばよかったのに。』そう言われたこともあった。
普通の家庭と思っていたが、今振り返ると厳しい言葉を浴びせられることが多かったようにも思う。
それらが私の今の虚無な心を作ってしまったようにも思う。
人に愛されたい。
認めていて欲しい。
その気持ちとは裏腹に、人に本当の気持ちを見せられなくて自分の気難しさのせいで深い人間関係が作れない。
そのせいでずっと孤独を感じて寂しかった。
人と触れ合うことで寂しさが紛らわせることを知って、
セフレという関係を好んだ。
踏み込まなくても良い、でも一瞬でも心が満たされる関係。
アプリで色んな男の人と会って、甘い言葉と時間で心を紛らわせていた。
どうせ愛がもらえないなら、お金がもらえる方がいいと思って、パパ活にも手を出した。
そんなことを繰り返しているうちに、心がどんどんボロボロになっていくことに気が付いた。
なぜこんなにひとりで寂しくて満たされないのか?
26年間そればかりを考えていた。
理由は、『アダルトチルドレン』という、幼い頃のトラウマだったのかもしれないと思うと、
少し楽になれた気がした。