見出し画像

[過去]アパレル時代の過労①倒れても働く

こんばんは。kahonです。
今回は5年前、初めて過労で倒れた時のこと
思い出しながら記録していきます^^!

  • なぜ私が?

  • 私がいないと成り立たないという思い込み

  • 幸か不幸か?


なぜ私が?

私は学生時代からアパレルのアルバイトをしていて、卒業してからもフリーターとして勤務していました。

そんな私がある日突然、社員さんを差し置いて「店長」になったのです。二十代前半の頃でした。
なぜ、バイトの私が?と思いましたが、これは上司からの指名で下った辞令であり、自分も性格的に前に出るのが好きな方だった為、前向きな気持ちでそれを受け入れました。この日から私は呑気なフリーターから正社員の店長になりました。
これが全ての始まりでした。

女の園の社会では当然人間関係が歪みはじめ、店長としていくら頑張っても古参のスタッフから距離を置かれ孤立していきました。
(数年後その中にいた人から聞いたところ、店長志望だけど言い出せなかった方がいたのだそうです。それで、可哀想に思いみんなそっち側に付いた、と…。)

もっと頑張って、頑張る姿を見せなければ認められない、との思いからとにかく仕事の"量"をこなすようになりました。

仕事量もどんどん増えていき、朝から晩まで、発注から金銭やシフト管理、SNSの更新、閉店後の棚卸しまでも1人でやっていました。と同時に徐々に夜眠れない日が増え,不規則な食生活(ある時は暴飲暴食、ある時はコーヒーで済ませるなど)も増えていきました。

頭痛が酷く自力で帰れない日はタクシーで帰って玄関に倒れ込むことも。1日に3回市販の頭痛薬を飲んでました。(今考えるとヤバさがわかります…)
眠気がすごくて爆音で音楽を流しながら窓全開で運転して帰る日もありました。仕事に行くと動悸や息苦しさを感じる日も増え、過呼吸を起こすようになりました。


そんなある日、体調が悪すぎると感じた私は早退し、帰宅途中に命の危険を感じました。(勘)
近くにかかりつけ内科があったため、駆け込みました。が、、、、、、
記憶があるのは受付で体調不良を伝えたところまで。
気づいたら高熱を出しベッドで点滴を受けていました。

案の定お医者さんから「過労です」と告げられ、
あぁ,やっぱり、と思いましたが、私の「頑張らなきゃ」はここでは止まりませんでした。
点滴を打ちながら働き続けました。


当時のストーリーズです



私がいないと成り立たないという思い込み

「私がいないと店がまわらない」
という概念に囚われていて、当時の私には無理して働く以外の選択肢が浮かびませんでした。
ただ、全く取れない疲労感に少しずつ押しつぶされて行きました。

そのうち、気持ちがあっても体が拒否しはじめます。
動悸や息切れはよりひどくなりましたが、循環器内科を受診しても臓器に異常はなし。
めまいやふらつきで内科を受診すると、貧血に栄養失調とのこと。(しかし不規則ではありつつもかなりの量の食事を摂っていました)
体が栄養を吸収して自力で疲労回復するエネルギーすらも、もう残っていなかったそうです。

この頃体重も激減し,友達には「棒みたい」「椅子に座ると背もたれがほとんど見える」と言われていました。
I  ←こんな風に見えてたみたいです。笑
けど、私がいないと店が成り立たない。休んでる暇はない。そう思い込んでいた私は、休日の呼び出しにも対応し、飲み会の誘いも断るようになりました。
何故なら“明日も仕事だから"。


幸か不幸か?

そんな満身創痍な私に転機が訪れます。
なんと怪我で入院するのです!
激痛・アレルギー・手術エピソードはここでは置いておいて、、、笑


この入院をきっかけに、私は初めて休職し、約1年、本格的に療養することになります。

長くなりましたので、次回につづきます◎

次回は
「私がいなくても世界はまわる」
という衝撃の事実(笑)、治療、休養についてです。



みなさま今日もありがとうございます♡⃛
よい1日になりますように!
夜お読みの方は1日おつかれさまでした☺︎


いいなと思ったら応援しよう!

kahon
よければ応援お願いします♡⃛ 励みになります!◎