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感じるってなんだよって思ったので、整理してみた

最近、自分が何を感じているのかに意識を向ける非認知的思考を学び「ごきげんに生きる」ということを探求しているが、「感じる」ということがよくわからなくなった。

「感じる」という日々使うありふれた言葉だが、これを意図しようとするとボヤけて輪郭が曖昧になる。

そこでこの記事では、「感じる」に注目する非認知的思考の理解を深めるため、「感じる」について自分の中で再定義していきたい。


「感じろ」と言われてもわからん

主人公の成長を描いた映画作品で「感じる」を習得する修行が出てくることがある。
スターウォーズの有名なセリフ「フォースを感じろ」はまさにその代表格だ。
(アベンジャーズにも結構ある。Dr.ストレンジとかシャンチーとか。)

そういうシーンでは、修行に励む主人公が「感じる」対象に気づけず「なんだよそれは」と憤ったり、「それは一体なんなんだろう」と思い悩んだりする。

ところが「なんだよそれは!」と憤るタイプの主人公は、感覚派だったりするので、「感じる」ことに気づくのが早いイメージがある。

一方で「それは一体なんだろう」と思い悩むタイプの主人公は「感じる」べきことを「考える」ので、「感じる」を習得するのが難しかったりする。

「感じる」は感覚を「知って認める」ことであり、「理を読み解く」ものではない。

「感じる」とは「わかる」ものではないのだ。


「感じる」とはなんなのか

「考えるな、感じろ」を考えていたら、そもそも「感じる」がどういうことなのかがわからなくなった。

例えば「感じる」と言えば味覚、嗅覚、聴覚、視覚、触覚の五感がある。
しかし、誰かが自分の体に触れたことは「感じる」と言うが、「味がする」「匂いがする」「聞こえる」「見える」は、「感じる」という感じがしない。

しかしこれらは確かに「感じる」であり、ここから整理すると「感じる」とは自分の周りの状況や環境を知覚する、認知するということである。

逆に、僕はいま非認知機能について勉強しているが、自分の想いことを知覚することも「感じる」であり、そう考えたら「感情」は情を感じるものなのだと気づいた。


ちなみに、「感じる」で辞書を引いてみると以下の通りの意味が出てきた。

(1) 感覚器官の刺激を通して情報を得ること、知覚することを意味する語。「痛みを感じる」などのようにいう。
(2) 感情を抱くことを意味する語。「屈辱を感じる」などのようにいう。
(3) 理屈よりもむしろ感性・感受性を通じて判断することなどを意味する語。「春の到来を感じる」などのように用いられる。
(4) 性的刺激・官能的刺激を受けて快感を得ている様子を意味する語。

wrblio辞書「感じる」

ということで、非認知的思考(ごきげんを保つために自分の内側に意識を向けようとする思考)で気づくべき「感じる」は知覚している外界からの刺激、そして自分の中に浮かぶ心情の2つ。

五感も感情も、心に余裕がないと十分に感じることはできない。

非認知的思考を習得する第一歩は、自分が何を感じているかに意識を向けることである。

気持ちを切り替えようと考えたとき、「美味しいものを食べる」「リラックスできる音楽を聴く」「いい匂いのアロマを嗅ぐ」「綺麗な絵を見る」「マッサージを受ける」などいろいろな手が出てくる。

しかし、「疲労したときはこれをしろ」というときによく出てくるこれらの手段は、その前にちゃんと「感じる」ができる状態になっておく必要があり、「ごきげんに戻ろう」という意思がなければしっかり感じることはできない。

そう考えると「感じる」ためには、まずは「感じよう」とする信念が不可欠なのだということになる。


ちなみに、辻秀一さんが『「機嫌がいい」というのは最強のビジネススキル』で語っている非認知的思考では、「五感」は外界を察知する感覚なので気づくべき「自分が感じること」には該当しないが、五感を使って得る感覚は感情につながる(美味しいと嬉しいみたいな)ので、自分の気持ちや感情を動かすためのきっかけとして使うのがよいのではないかと考えている。


「感じる」を得たくてサウナに行く

「感じる」を意識的にする手段として瞑想や坐禅、ヨガなどをするイメージがあるが、僕が思う「感じる」を知覚するためのよい習慣はサウナだと思っている。

僕はもともと体に熱がこもり気味で汗をかけない体質を治すためにサウナに通っていたが、しばらく通っているうちに気づけば汗腺がぶっ壊れて汗がかけるようになった。

その後は汗をかいてデトックスするために引き続きサウナには通っているが、最近はぼおっとする習慣としていい時間が過ごせている。


銭湯に入るとスマホを手放し、心からぼけーっとすることができる。
そうなると風やら日差しやら、水が流れる音やら、温泉の独特な香りやら、いろんなことに気がつく。

サウナに入ると体温が上がり汗をかき、体の中から澱んだ水分を出すことができる。
サウナから出て水風呂に入ると毛穴が閉じて、身が引き締まる気分になる。

そしてこのとき、あまりの環境の変化に脳が驚き、緊急事態に対応できるよう覚醒モードに入るらしいが、この後は座ったり寝そべったりして外気浴をするため、何をするでもないけどめっちゃ頭がよく働くという状況ができあがる。

この状況のとき思考もよく回るため、アイデアを考えたり悩みを整理するのにも有効だが、最近僕は外気浴で非認知的思考をする時間を意識して取っている。

まずは何が見えるか、何が聞こえるか、どんな匂いがするか、口の中で何が味は感じるか、何か体に触れているものはあるかと、五感で感じるものをじっくり眺めて楽しむ。

そしてそれらを楽しむ自分の心情に意識を向けて、どんな気持ちをしているのかを観察する。

すると、落ち込んでいるときは自分が落ち込んでいることを受け入れることで楽になり、そうでないときはこの後何しようかなと気分よく次の一歩に意識が向く。

サウナはしっかりぼけーっとする時間が取れるので、まさに「感じる」に向き合うのに適しているのだ。


まとめ

最近、「ごきげん」を探求する中で出会った「非認知的思考」という自分の内側に意識を向けて、何を感じているのかに気づくスキルを学んだ。

これを習得しようと実践する中で、「感じる」ということのゲシュタルトが崩壊してしまい、改めて自分の中で「感じる」を再定義してみた。

ここまで読んで、何を読まされてるんだという気にならなかったあなたは、多分休んだ方がいい。
サウナに行くなり散歩をするなりして、自分の感じるものに意識を向けてみると、普段は見ないようにしていた自分の気持ちに気がつくかもしれない。

それこそが「自分らしくごきげんに生きる」の第一歩となるのだ。



僕は、ライフワークと言えるような仕事や活動に取り組みたいという方を応援するため、「ごきげん」をテーマにライフコーチとして取り組んでいます。

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