創作大賞2024でメディア賞をいただいたということ
■こんにちは、わたしは森きいこです
東北地方出身。今回の創作大賞2024 新潮文庫nex賞(メディア賞)をいただきました。
株式会社ツクリゴトに所属し、主にコンテンツ作成及び総務を担当しています。
この機会に今回の経緯や心の動きをまとめてみました。
お付き合いくださいますと幸いです。
■19年前、「小夜子」になりたかった
はじめて小説らしきものを書いたのは中学生のころ。
2000年に放映されたドラマ『六番目の小夜子』に影響されまくり、髪の毛を伸ばし、ミステリアスな美少女を目指していた。そして、恩田陸先生のように、処女作デビューに憧れた。
インフルエンザのときに買ってもらった小説版の『六番目の小夜子』。恩田陸先生が「離職後に書き上げた作品でデビュー」したというエピソードは、高熱の女子中学生にはよくキマった。
憧れた。自分も処女作デビュー、したかった。
数年後、原稿用紙にシャープペンシルで投稿する作品を書き上げ、分厚い応募原稿をポストに投函した。
初投稿から受賞までなんと19年かかることを、もちろん知るすべもない。セーラー服を着ていた頃、わたしは無邪気に「選ばれる」と信じていた。
んなわきゃなかった。
もはや出した数は覚えていない。少女小説と、ノベルスと呼ばれるジャンルに投稿していた。
働きながらも投稿をバンバンしていた時期に心がけていたのは、半年に1作以上新作長編を投稿すること。
これだけは自分で決めて、絶対に守っていた。
■すでに10年経っていた
大学在学中には、自分は「天才ではない」。そう思い知っていた。
最終選考に残っても1/2で落ちるし、声をかけてくれたレーベルは消えたし、一時期を境に選考に全く残れなくなり、20代半ばでバッキバキに筆を折った。
そうして会社員として数年過ごし、なんとアラサーになっていた。
でも、あきらめたくなかった。
文字を書いて、生活をしたかった。なので、シナリオライターになりますと言って、会社を辞めた。家族はよく許したと思う、なお、実家の両親は事後報告だったので、頭を抱えていた。
父はうめくように言った、「お前は1歳のころから頑固だった。滑り台は絶対下からのぼった」。何を言っているかわからなかったが、形の上だけでも、納得しようと努力してくれた。「5歳の時には……」父のトークはしばらく続いた。
■選考と揺れるこころ
中間発表のその日、わたしは友人とお茶をしていた。
彼女はいつものおっとりした調子で「きいこ先生、中間通ってますよ」と告げた。
翌日、中間発表だと思い込んで、のんきにしていたので、本気で驚いた。「チュウカン」が頭の中で咄嗟に変換できないくらいに、驚いた。
その日、そのちょっと前まで、わたしは彼女に語り続けていた。
「賞が欲しい。あの時取れなかった、諦めてしまったことが情けない」
その相手は東堂燦先生。オレンジ文庫で大人気のシリーズ『十番様の縁結び』が刊行中である。姉妹作『百番様の花嫁御寮』も2巻まで出ている。今月はポプラ社からも新刊が出た。
わたしは、未練たらたらだった。過去の自分が見た夢に、取りすがっていた。
自分の夢の墓場を見下ろして、ずっと後悔をしていた。自分で折った筆のかけらを握り締めて、現実的な方向でがんばっていこうともがいていた。
わたしは、文字と生きていきたかった。
あの日、東堂さんと一緒にいる時に選考通過を知り「運命なんじゃないか」と勝手に思った。東堂さんは、ほぼ唯一、筆を折る前のわたしを知っているのだ。
「これはもしや!?」と思ったのは、その日だった。
長年の投稿生活で、最終選考を通った場合、このくらいに連絡がこないと間に合わない、というものは見当がつくようになっていた。
受賞するかもしれない、しないかもしれない。このそわそわは本当に久しぶりのことだった。
怖かった。でも、あまりにも通過数も多いので、同じくらい現実感がなかった。
■「受賞のお知らせ」
その日、報せを受けたわたしは立ち上がった、そして家族に「受賞した!」といって手に手を取って喜んだ。
そこからは、ず~~~~~っとナイーブだった。なお、いまもナイーブである。
編集部へご挨拶にうかがうとき、迷子になったらどうしよう。作品のなにがよかったんだろう。本当に受賞したのはわたしなのだろうか、などなど。
口角炎になったり、ニキビができたり、体までナイーブになった。
結果発表前日、わたしはあまりにも苦しくなり、にじさんじの長尾景さんの『MIRROR』を布団の中でエンドレスで聞きながら寝た。
余談だが、受賞が分かった後、地味に一番きつかったのは「黙っておくこと」だった。
元来、森きいこという生物は、おしゃべりで陽気な生態なのだ。楽しいことが好きで、基本的に笑っている。喜怒哀楽が顔にすぐ出るので、嘘をつくこともあまり得意ではない。
そんな人間は黙っておくことが苦手だし、下手である。
のちに、友人たちはわたしのあまりの不自然な沈黙に「なんとなく受賞なのかなって思っていたよ。きいこちゃん、あんまりにもおとなしいから」と言われて、ちょっと笑った。
■当日のこと
授賞式のスピーチは、正直、覚えていない。なにせ、ぼんやりと骨格は作っていたけれど、アドリブに近かった。
泣かないことのほうが、重要だった。19年だ。途中、投稿できていない時期があったが、それでも諦めきれなかった。
話している間、昨年の受賞者の先輩たちがとても優しい目で見てくださった。とても心強かった。
昨年の受賞者のみなさんの本を見ながら「がんばろう」としみじみ思った。背筋が伸びた。
じたばたしてはいられない。
ようやく、ようやくここにきたのだから。こられたのだから。
スタートだ。
■最後に
正直、今でも「結局、わたしは選ばれない」という思いと闘っている。
「選んでもらうためには人の3倍がんばらないといけない。人の3倍努力して、その3倍がんばらなければ、夢は叶わない」そんな歪んだ信念を叫び続けるバケモノが、わたしの心の中には棲んでいる。
わたしに関わる編集さんは、よく「すべての変更を飲まなくていいんです、森さんが『こうしたい』があれば、それを教えてください」と言ってくれる。わたしは元気に「ないです!」と答える。
実はそれが、とても苦手なのだ。
『血道』は故郷をベースに書いたものだ。
故郷が大好きだ。
夏の日に、田んぼを通るアスファルトの農道を、自転車で爆走して、大声で歌うのが好きだった。
でも、あそこでは、わたしは生きていけないのだ。
わたしは少しずつ、選択することを覚えはじめた。
両脇にバケモノと「小夜子」を抱えて、えっちらおっちら歩いて行こうと思う。
これから、担当さんと二人三脚で改稿を進めていくことになる。
わたしが書いたものを、誰かひとりでも「面白い」と思ってくれるなら、こんな幸せなことはない。
この本の表紙が見れる日を、わたしも待っている。