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「この闇と光」マジでにゃるらさんのエッセイを読んでる気分
読んだ。
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面白かったなぁ。レイアは姫として扱われ、音楽も物語も「極上のもの」を与えられ続けてきたら確かにああいう人間になるね。
お父様がくれたものを全部摂取し続けてきたレイアは無視ってやつができない。普通は見たくないものをシャットアウトできるんだけど、大木伶は全部心で受け止めてしまう。世界は醜いものに溢れているのに。そりゃうんざりするよな。そりゃ美しいものだけ見ていたいと内に閉じこもるよな。目が見えてからの大木伶はほぼ自閉症。
こういう人はたまにいるよね。自分の見る目とか感性とかにアイディンティがある人。 鈍感な人を見下してるくせに、繊細だから生きづらいと嘆く。1年前まで付き合っていたパートナーがそうだった。美しい文章と美しい音楽を愛して、それを美しいと感じる心を愛していた。社会の荒波に揉まれて自分の心臓に毛が生えていくのを、成長と捉えられなかった人。noteだとにゃるらさんとかそうだよね。大木伶の語りをくらってるときなんて、マジで彼のエッセイを読んでる気分。
私は依存先がたくさんある普通の人だから、別に心が鈍感になるのはただの変化と捉えて気にしていない。私の世界では、文章と音楽とそれから絵以外にも心地よいことや楽しいことが溢れているし。本が楽しくなくなったら友達を誘って酒を飲む。それで同じように満たされるので結構幸せ。
だから、実はレイア(一)はかなーり退屈だった。かわいそうなお姫様の日常って感じだもんね。夢見る女の子の心を持つ人はこういうのにうっとりするんだろうが、私としちゃさっさと冒険に行って欲しかった。家を出る理由なんて嫌なやつがいるからでいいんだし、さ。
それでも面白かったんだから大したもの!今年読んだ本の中でも一番心に残った作品になりそう。昨晩は二人のことを考えてなかなか寝付けなかったくらい。
いつか、大木怜が長野の別荘に行かなくなって、自分の人生を歩んでほしいとは思う。10年くらいは通ったっていい。ダークにだって会いたいよね。でも住んじゃダメだ。世間を捨ててレイアとしてあの美しい世界に依存してしまうと、自殺してしまうよ。老化に耐えられないだろう。レイアの感性では、深いシワがついた職人の汚れた手を美しいと思えない。どんなに気を使っても30代でおしまいだ。
それに怜の両親は俗物だけど、家族を形成し子供を愛している立派な人間だ。報われてほしい。そのためにも怜には、変化を愛せる大人になってほしいと思う。それが社会人として狂わずに生きていくための洗脳だとしても。