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バイオリン練習の要は「くるくるぽん!」②

前回からの続きです。

二つ目の答え

私はたとえばプロの音楽家の方達ほどまでは音楽について突き詰めて考えられたことはないかと思います。そんな中でも音楽論めいたことを大胆にも語ってみたいと思います。

演奏家の個性

クラシック演奏家が一つの曲を演奏する時、その演奏は各演奏家の個性を身にまといます。演奏家当人としてはご自身の個性を表そうとする方も当然いらっしゃるかと思いますが、必ずしも全面的にご自分の個性を出そうとはしていない方もいらっしゃると認識してます。あくまで私の解釈ではありますが、とある私の大好きな演奏家がインタビューで「自分を滅して作曲家が曲の中で言いたかったことを自分が代弁しようとしている」という意味の発言をされていたことを記憶しています。その演奏家がそのようなスタンスでいてもなお私はその方の作るフレージング、音色、和音、つまりその方の個性が大好きなのです。

演奏家が懊悩しながら準備をし、腹を決めて発表すること

演奏家各人がその人なりの曲の解釈、美意識、そして自身の体の特性などを用いてその人独自の演奏を作り上げ、完成させるという一連の流れについてもこの「くるくるぽん」という言葉を当てはめることができるのではと思うようになりました。先述のように音楽にはさまざまな要素があり、その一つの要素をごくわずかに変えても大きく印象が変わることがあります。それらの要素を曲の初めから終わりまでその人自身の選択で決めていく時、まずその選択しなければならないことの量の多さ、そして「あんな弾き方もできる、でもこんな弾き方もできる」といったような選択できる幅の広さで演奏家は大いに頭を悩まされると思います。少なくともアマチュア演奏家の私はいつもとても悩みます。一つの要素について考えて一つの答えを出してみても後で考えを改めて別のものにしたりということも往々にしてあります。
この数学の問題解答のような万人一致の「正解」ではなく、演奏家が導くその人だけの選択、いわば「正解」を導くことは技術習得を超えて演奏の中で最も難しく、そして面白い肝の部分であると思います。

そして演奏会の場では演奏家は曲について悩んでいる姿を聴衆に見せることはできません。聴く人に楽しんでもらうべくその発表の時までに導いた自分なりの「正解」を演奏で自信を持って提示をする必要があります。

この懊悩しながら演奏を作り上げることを「くるくる」、そして迷いを捨て腹を決めて演奏することを「ぽん」とも言うことができるのではと最近思うようになりました。

終わりに

私のこの解釈を件の先生は面白いと笑っていただけるかあるいは全くの見当違いだと思われるか、わかりません。その先生と別れてもうすでに何十年も経ちましたし、今年先生が逝去されたということを知りました。
この「くるくるぽん」をはじめとした印象的なお言葉を、先生の茶目っ気たっぷりな笑顔を思い出しながら今後も自分の中で考え巡らせていきたいと思います。

※ヘッダーの写真をisskauさまからお借りしました。ありがとうございました!

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