バイセクシュアルは幸せー私が初めて出会ったブラジル人
ブラジルで4年前から約3年ほど生活していましたが、私が初めてブラジル人に出会ったのは今から12年ほど前、ドイツで介護の勉強のために生活し始めた時になります。
私はドイツで外国人が介護やシュタイナーが提唱した人智学を学びながら生活をする、というプログラムに参加しました。このプログラムでははじめに一週間ほど参加者が一堂に会してともに介護について学んだり、ドイツでの生活についてを学んだりしました。そこでブラジル二人と知り合いました。そのうちの一人がバイセクシュアルだと出会った当初のころから公言していたB君です。
B君が貸してくれたゲイ向け雑誌
このプログラムでの勉強会は英語でなく、ほぼドイツ語で行われました。このプログラムではドイツ語が理解できることが参加条件でした。私もこの為にドイツ語を勉強してきていたつもりだったのですが実際は全く通用せず、初日から途方に暮れることになりました。
それでも何とか追いつこうと休憩時間などもひとりで必死で勉強をしていたら、このB君がある雑誌を私の前に出し、貸すよ、と声をかけてくれました。
この雑誌は同じ内容がドイツ語と英語両言語で書かれているので、私のドイツ語勉強によい、とのことでした。彼の好意に感謝しながらお借りして、その雑誌を見てみたら、男性同士が恋人だとわかる写真が次々と現れ、最初びっくりしてしまいました。英独で書かれた文章は写真のようないわゆる色っぽい内容ではなく、ゲイを主軸にしたさまざまなトピックを社会学的な観点で書かれているものだったと記憶しています。
その後彼と話をしている中で、彼自身がゲイではなくバイセクシャルであるということを知りました。彼が「どちらの性も愛せるというのはよりお得、よりハッピーだ」と嬉しそうにそして自分から積極的に私に語っていたのがとても印象的でした。
その数年前から私が日本で思っていたこと
その数年前私はトランスジェンダーの友人に出会っていました。友人がトイレを男性用・女性用どちらのものも使うのにも抵抗があり、身障者用トイレを誰でも使えるトイレと標記を変える運動に参加していること、性転換手術をしたいが家族に理解してもらえないことなどを知り、性的マイノリティであることでこのようないくつもの困難な壁に対峙することになるのだと思うようになっていました。また約20年前の当時は今よりも偏見や差別などが強く残っていたように思います。そんな中、バイセクシュアルであることが幸せだと感じているブラジル人の友人の言葉は衝撃的でした。
ドイツで外すことができた思い込み
その後ドイツでは多くのいわゆる性的マイノリティに出会いました。私は多くの障がい者の方たちと暮らしていたのですが、知的障がいを持つ方たちの同性同士のカップルもおり、周りのサポートを受けながらそのカップルは一緒に暮らしていました。
ブラジル人の彼に出会えたことを筆頭に、ドイツで日本でなかなか出会えなかった魅力的な方たちに出会う中で「(いわゆる)普通でなければならない」という思い込みを取り外すことができるようになりました。この思い込みを取り外した時、背中に翼が生えたような、そんな嬉しく感動的な心地になったことを今でも覚えています。私自身は性的マイノリティではありませんが、いわゆる普通ではないところを多く抱えながらも、普通の枠に自分を無理矢理はめこもうとしている自覚がありました。そして無理矢理「普通」に擬態しなければならない自分自身に落ち込むこともありました。
ブラジルでも
彼はこの気づきを最初に自分に与えてくれましたが、10年ほど後にブラジルで暮らし始めた時にも、この気づきを与えてくれる多くのブラジル人がいました。当時は私も今より新米感の強いママだったため「いい母親像」を求める外圧に押され自分をその像に当てはめようと無駄に足掻いていた時期でもありました。
まとめ
「自分のありたい姿であっていい。そしてやりたいことをやっていい。」と教えてくれた彼に出会えたこと、そしてそんな方が多く暮らすドイツやブラジルで暮らせたことに今も心から感謝しています。