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ウクライナの友人との思い出と今思うこと

今のウクライナの状況が気が気でなりません。読んでいただく方に何のプラスになるかわからない記事になるかと思いますが、ウクライナに住む友人の安全を祈りながら彼女との思い出と今思うことを書いていきたいと思います。

ウクライナの友人に出会った経緯

彼女とは2007年から2008年にかけてドイツで行われた外国人向け介護実習プログラムで会いました。私たちや他の外国人は研修で数ヶ月に一度、一週間ほどドイツ中から30人くらい集まりともに過ごしました。途切れ途切れに会っていましたが、合わせると1ヶ月弱毎回同じメンバーで寝食を共にしました。その研修のうち一回はそのウクライナの女の子と寝室が同じになり、次第に仲良くなりました。

どんな女の子だったか

ウクライナ人だから特別何か特徴があったというわけでは、もちろんありませんでした。少し内向的で、でもおしゃれはいつも本気で部屋では頻繁に自身の長く美しいブロンドの髪をとかしていました。もう一人同室だった子が笑いながら「一日に何回髪をとかすの?」と聞いて、その彼女が「髪は私にとってめっちゃ大事なの!」と笑いながら答えていたことを思い出します。
彼女が髪だけでなく洋服も常にばっちりときめていました。当時私はとても内気だったこともあり、あまりにも完璧なオーラを放つ彼女に近寄りがたい雰囲気を感じて話しかけるのに少し勇気がいりました。
しかし実際はとても気さくで優しい子でした。内向的なもの同士、穏やかに会話をしたり、たまに面白いことを言い合ったりしながら少しずつ距離を縮められました。同室だったのは一週間だけだったこともあり政治の話題など深いことを話し合うこともなく、他の多くの日本人の友だちと同じように穏やかに楽しく過ごせる間柄の友人になりました。本当に今私が日本で会う友だちと何ら変わりなく、何の因果で彼女の祖国がこのような危機に直面しなければならないのか、理解ができません。

その後

その後彼女はウクライナに戻りウクライナ人男性と結婚をし、2011年に男の子を出産しました。Facebookでは時たま家族の素敵な写真が上げられ、それを見るたびに私は嬉しくなり癒されていました。

2014年ウクライナではクリミアの紛争などがあり、彼女が無事か心配になりましたが元気そうな様子がFacebookでわかりホッとしていました。

最近彼女はSNSで近況を上げる暇がないからか、何の情報も上げていません。仲良くなれたとは思うものの最後に会ったのは14年前という薄い関係性の私がこちらから様子を聞くようなことはすべきではないと思い、聞いていません。

今思うこと

ここ数日私は昔の彼女と過ごした楽しかったことを思い出し、彼女たちの無事を案じています。

彼女たちは無事か?
彼女の夫は徴兵されたのだろうか?
今年11歳になる彼女の息子があと7年歳をとっていたら、息子も徴兵対象にやはりなっていたのだろうか?

と思いめぐらせ、そこから

私がウクライナ人だったら?
夫が徴兵されたら?
私の息子が成長して徴兵されるとしたら?

とわが事としても想像して恐ろしく悲しい気持ちになります。

どうか事態がこれ以上悪化せずすぐさまプーチンが考えを改めることを強く願います。

※冒頭の絵はasagi_2020さまからお借りしました。素敵な絵をありがとうございました!

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