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ズルいぞ米津玄師。

米津玄師。本名である。

どこかミステリアスでいて、しかし楽曲が流れれば日本全国老若男女が「知ってるー!」と声を上げるあの感じ。

あの「ちょっと引きこもってる風スター」のポジション、めちゃくちゃ羨ましくないだろうか。まるで神である。

人前に出まくるタレントでもなく、にもかかわらず誰もが知るスーパースターでもあり……うーん、何だろう、このイスラム教のムハンマドにも似た絶妙な万能感。

何しろメディアの露出が少ないわりに、道を歩けば「Lemon」が聞こえてきて(ちょっと古い)、幼稚園児ですら「パプリカ」を口ずさむ始末。大人すらも洗濯物をたたみながら「パプリカ」だ。米津玄師がベッドでゴロゴロしている間にも曲は勝手に世の中に広まってしまう。まるで教義が勝手に広まるムハンマド。

そこに「俺が描いたMVのイラストかわいいっしょ?」なんて添えられたら、こりゃなんですか、ジェラシーと憧れがミルフィーユ状態。表にはあまり姿を出さず、必要な時にだけ「さっと」現れるって……やっぱムハンマドでしょ。


こういう存在に憧れてしまうってことは、つまりは人間は神的な存在になりたいのかな。そうなのかも。


想像してほしい。私たちの作品が全国民に認知されていて、だけど当の自分が「コンビニまで行くけど誰も気づかない」という状況。

いや、ほんとにそんなことが可能なのかは謎だけれど、少なくとも私は「バイブス上がるべなぁ」と思ってしまう。しかもライブとなれば一気にドームが埋まり、チケットは秒速で完売。ファンは「ぎゃーもっと見たい」「いや、でも姿をあまり見せないからこそ神々しい」と勝手に盛り上がってくれる。こんなに都合のいい話があっていいのか?

この神ポジション、絶妙にズルいと思う。何かを作る人間にとって、「作品こそが自分の分身」みたいな願望は一種のあるあるだろう。それが最大限に叶えられているのが米津玄師、というわけだ。

下手に全方向に愛想を振りまいてバラエティ番組でバンバンしゃべるより、あのレアキャラ感を貫き通すほうが格好いいし注目されるし神っぽい。まるでミュウでありホウオウでありスイクンであり......あ、ポケモンはここで止まってます。

だけど、その絶妙さを真似しようとしてもうまくいかないのが世の常。米津玄師さん、すっごく努力してるんだろうなぁ。じゃないとああはなれない。

〈あとがき〉
米津玄師を初めて知ったのはおそらく『打上花火』のときで少し遅いほうだったのかなと思われます。名前の響きから最初はおじいちゃんかなと思ってました。すげーいまさらな記事ですが思っちゃったんだからしょうがないですね。今日も最後までありがとうございました。

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