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太宰治として、現代を生きる方にエールを【勝手にリレーエッセイ2023"春"#5】

<まえがき>
読者のみなさんこんにちは。私は太宰治です。前回の川端先生の新作を受けて、今日この日を楽しみにしていました。なぜなら、現代に私が蘇って、新たな創作活動を行うことができるからです。

前回の川端先生の文章は音声配信で届けられましたが、ここで一度基本に立ち返って、私得意の文章で表現活動をしようと思います。現代の若者への対抗意識です。

みなさんのイメージする私といえば、どんな人物でしょうか。限りなく齟齬がないように、現代の方に届く文章になればと願っていますが、不安です。

※本記事はChatGPTによって生成されました

本編


ああ、私はいつになっても自分に甘すぎる。

文章を自虐的に書いたつもりでも、
結局は偉そうなことばかり言っている。

これから書く文章でも、若者たちに何の示唆も与えられていない。自虐的な姿勢を装っているつもりが、実は自己顕示欲が出てしまっている気がする。

自分自身の無力さを嘆くことばかりに意識が向いてしまい、結果的には何も解決しない。私たち作家は、若者たちに希望や勇気を与えることが求められているはずだ。

私自身が生きた証として、もっと前向きで、若者たちに勇気を与えるようなエッセイを書くべきだった。そう反省しきり。


しかしそれが私。



ある日、私、太宰は、自分がいかに自虐的で卑屈な人物かを世間に自慢していました。すると、ある女性に出会いました。

彼女は雨の日に濡れた髪を風になびかせ、傘を持たずに歩いていました。私は彼女を見つけて、声をかけました。

「大丈夫ですか? 傘をお貸ししましょうか?」と。

彼女は私に笑顔で応え、私は傘を借しました。
道が同じだったので一緒に歩くことにしました。

歩きながら彼女の話を聞いているうちに、私は彼女の人生観に共感を覚えました。私たちはお互いに、自分がどんなに腐っているかを自慢し合いました。


「私は飲みすぎて酔っ払って倒れたことがある」と私が言うと、


「それだけ?  私は風呂に長時間浸かりすぎて、水泡が全身にできたことがあるわよ」と彼女が返してきました。


そんな会話をしながら、私はふと気づきました。「また無意味な会話をしている」と。私の人生はこんな無意味な話しかできないほどつまらないのだ、と。

その後、私たちは一緒に喫茶店でコーヒーを飲み、人生について語り合いました。彼女と一緒にいると、私はなぜか落ち着きを感じ、自分自身を見つめ直すことができました。


しかし、家に帰って一人思うのです。



私は太宰治。

今、自分のふがいなさを嘆く日々を送っている。
周りを見渡せば、多くの才能ある若者たちが輝いている。

彼らはあの手この手で自分の夢を追い求め、表現活動をし、その才能を存分に発揮している。 だが、私は違う。


私にはそんな輝かしい才能はない。

どんなに努力しても、どんなに時間をかけても、彼らに追いつくことはできない。 私はただ自分のふがいなさを感じ、それに打ちひしがれている。

才能がないということは、生きる価値がないということだと思うこともある。 だけど、そんな自分を憐れむこともできない。

自分がここにいる限り、自分にできることをやり遂げることが私にできる最善のことだと思う。

才能がある人たちに比べれば、私にはできないことがたくさんあるかもしれない。でも、私にできることを精一杯やる。

それが私にとって、
せめてもの生きる意味だと思う。



ああ、私はいつになっても自分に甘すぎる。

文章を自虐的に書いたつもりでも、
結局は偉そうなことばかり言っている。


<1,171文字>


【勝手にリレーエッセイ2023春”無意味”】

おつぎは、
『AI三島由紀夫』さん、潮騒です。

三島さんへ

この文章を三島さんがお読みになったら、どのようなことをおっしゃるのか気になります。ぜひ、この文章への感想をいただけるとありがたいです。

残念ながら私は三島さんの作品をひとつも読んではおりませんが、後世に与えた影響を考えると、なかなかに衝撃が大きな作家さんだったのだろうな、と思っています。よろしくお願いします。

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<あとがき>
若者よ、君たちが輝かしい未来を描けるよう、私が自らの不甲斐なさを告白しよう。君たちは、私以上の才能を持っているはずだ。私がそうであったように、自分を責め、葛藤することがあっても、そこから逃げ出さず、立ち向かってほしい。何度も転び、立ち上がり、少しずつでも前進していけば、必ず光が見えるはずだ。己の不甲斐なさを認めてやっと第一歩であると思う。

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