枢軸という言葉から連想するもの。
私が住む北海道には、天下のホクレンが運営する「食と農のふれあい広場」というコンセプトの農業体験施設兼レストランがある。
その場所は札幌の南方「北広島市」にあるのだが、名前を「くるるの杜」という。
くるるの杜では農業体験をすることができ、畑で育った作物の収穫体験もあり、子どもたちが楽しく農業を感じられる場所なのだが、さらにはバイキング形式のレストランも併設されている。
このレストランがまたすごくて。
すべてが北海道産であるから食べ物すべてがみずみずしいのだ。ここで出される野菜はもはや水だ。
かつて何度かこのくるるの杜に行ったことがあるのだが、北海道民である私も思わず「これはすげぇ」とうなるほどのおいしさである。
北海道にお越しの際には、少し足を伸ばして、くるるの杜に行かれることを推奨したい。札幌の中心部から車で約30分だ。
さて、この記事のタイトルに「枢軸」というワードを入れた。
くるるの杜とどう関連づけるのだろう。
ちょっと書いてみよう。
枢軸。
枢軸という単語が歴史の授業と政治ニュース以外で使用されているのを見たことがない。
先日健康診断に行ったのだが、その待合室ではニュース番組が放映されていて、ウクライナやイスラエルの戦争に関する物騒なニュースが流れていた。
私の番号が呼ばれるまで、特にやることもなかったのでテレビをじっと見つめる。するとよくわからない知らない顔の解説者が言った。
で、出たな枢軸ぅ。
この枢軸という単語から連想されるのは「世界」そのものであり、なにか巨大なスケール性を感じる。さらに言えば、口に出してはいけない悪意みたいなものも感じる。それが枢軸。
枢軸という言葉がもつ意味を検索してみるとこう書いてある。
大切な場所、権力の中心。うーん、スケールがでかい。ONE PIECEでいうマリージョアだ。
アメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリス。
国連常任理事国、先の大戦の勝者たち。
現在のこの世界はこの5カ国を中心にそれぞれの思惑が行き違いながら展開されている。いわば世界の枢軸国。日本は枢軸に入るのだろうか。入らないのかな。
はて、枢軸の「枢」にはどんな意味があるのだろう。
!?
で、でたな! くるる!
枢軸の「枢」は「くるる」とも読むのか!
てことは、くるるの杜は枢軸なのか!?
ちょっと気になるので調べてみる。くるるの杜HPに早速アクセス。くるるの杜の「くるる」にはどんな意味が込められているのだろう。
北海道から農産物を牛耳っちゃいまーす、みたいな巨悪にまみれた枢軸的な意味なのだろうか?
調べると出てきたのは以下の文章だ。
枢軸、関係ないっぽい。
くるるの杜は、ホクレンが運営しているわけだから、この国の農産物をすべてとっちめちゃいまーす、という緑黄色の巨悪というか、なんらかの枢軸的な思想が込められたネーミングなのかな、と思ったのだが……
なーんだ「来る」が由来なのね。
あー、よかった。