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肩が強い男の子。
小学生のころは足の速い子がモテるという話があるが、私の持論を述べるとすれば、肩が強い子のほうがモテる。
顔、頭脳、身長、走る速度、そんなものはどうでもいい。異性からモテるために最も大事なのは「肩」だ。小学生の男の子のママさん、息子さんに伝えてあげてください。大事なのは「物を遠くに飛ばす能力」です。
だからというわけではないが、いつも雪玉をぶん投げていた。
雪玉を作るとき、あまりに気温が低いと雪がサラサラしていてしっかり固まってくれない。どんなに一生懸命に握っても、マイナス二桁の世界では雪玉はさらりと崩れてしまう。反対に気温が高い日の雪はよく固まる。雪が水分を含んでいるのだと思われる。雪同士がくっつくので、私たちはそういう雪を「ベタ雪」と呼ぶ。
このベタ雪、投げれば遠くまでよく飛ぶ。
もちろん私の小さなころというのは、それはもう肩が強い男の子だった。石ころを田んぼにぶん投げれば地平線の向こうまで飛んでいったし、ドッヂボールをやれば攻撃の主砲を任され相手をボコスカとめったうちにした。私はサッカー少年だったのに、肩の強さを買われてドッヂボール少年団の北海道大会にも出場したことがある。高校のときなんざソフトボールの授業中に、外野からホームに糸を引くようなレーザービームを見舞ってやったこともある。先生も野球部も口をあんぐりして漫画みたいに驚いてやがった。
伝説の大投手「沢村栄治」が戦争にいったとき、その肩の強さを評価されて手榴弾を米軍敵陣営にぶん投げまくったという話を子どものころに読んだ。幼心に「おれも戦争にいったら沢村栄治みたいに手榴弾ぶん投げ担当だろうなぁ」と思っていた。ブンッ。
クラスの女子全員が「ダーキくんは肩が強いね」と顔を赤らめて言ってくれた気がする。あと、ドッヂボールのときは女子たちに「みんな! おれの後ろにいて!」とイキってた。もちろん女子はだれひとり私の言うことを聞かず、蜘蛛の子を散らしたように逃げまどい、私は「ああっ! おい! 女子たちぃ!」と1人頭を抱えた。
父は野球をやっていたらしい。
小さなころ、父からよく言って聞かされた。「俺は道南地方で2番目に肩が強かった」と。今なら「え、なんだそれ」と思うのだけど、小さな私は「おお、北海道の南のほうで2番目に肩の強かった父さんの遺伝子を持っているんだから、おれはめちゃくちゃに肩が強いんだ」と信じ込んでいた。信じていると不思議なもので本当に強くなる。子どもに対して親がかけてくれるあらゆる言葉は「魔法」なのだと思う。魔法は使い方を間違うと「呪い」にもなるんだけど、父さんは言葉を「魔法」として使ってくれたみたいだ。
それで「雪玉」の話に戻るのだけど、ベタ雪は投げるとよく飛ぶ。重いからだ。
小さなころ、こぶしよりちょっと小さいくらいに握った雪玉をいつも遠くにぶん投げた。
道に積もった雪を手に取って、にぎにぎしてやる。マジで雪から「にぎにぎ」と音が聴こえる。かたくかたく握って雪玉を作って、それを白い平原に斜め45℃くらいの入射角で肩を「ギュン」として、目にも止まらぬ速さでぶん投げる。雪玉は勢いよく空の彼方に消えていき、はるか100メートルほど先まで飛んでいく。小さな私は雪玉がどこまで飛んでいくかを「ひゅーっ」という顔で見つめる。
とにかくぶん投げるのが好きだった。
硬い雪玉をコンクリートの壁に向かってよくぶん投げた。松坂のようなワインドアップで投球動作に入る。20メートル先くらいの壁に、雪玉を思い切りぶつける。雪玉が壁にぶつかると「パカァン!」という破裂音が響く。この音が大好きで。雪玉が炸裂した壁に向かって小さな私がトトトと近づくと、雪が壁にこびりついている。この雪がなかなかはがれない。
冬になると、こういうことをぜんぶ1人で、本当に1人でやってる男の子だった。
ぜんぜんさみしくなかった。
父からは野球をやれとは言われなかった。あの人は魔法の押し付けをしない人だということになる。
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〈あとがき〉
子どもって親の言うことはすべてスポンジのように吸収するじゃないですか。全てに「そうなんだ」と言うような感じで。幸い両親はネガティブなことを一切植え付けない人たちでしたので、私もそうあたりたいなと思ったりします。雪玉はしばらく作ってません。今日も最後までありがとうございました。
【関連】子どものころの雪の思い出