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誰のドストエフスキー?
電子本が読めない。なので「なぜ電子本が読めないのか?」という話をしようと思う。
この年末、いかんともしがたい「読書」の欲求に駆られてブックオフに行った。
古くから読み継がれるような本が好きだ。自己啓発本といえばカーネギーだし、ビジネス本なら元ソニーの盛田昭夫や京セラの稲盛和夫、パナソニックの松下幸之助が書いた本。小説なら夏目漱石、三島由紀夫、川端康成。歴史小説では司馬遼太郎。
上記の本のうち、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』以外は、ほぼブックオフで購入している。できるだけ安く仕入れたい。著者さんすみません。
竜馬がゆくに関しては父からもらった。「読んでおけ」と言われて小さなころにもらった単行本は全8巻。
すこし脱線するが、この8冊、父は親友から譲り受けたらしい。その親友は父の幼馴染で、職業はお坊さんだったが、もう何年も前に亡くなった。親友が亡くなったとき、父は棺桶に抱きつきながら泣いていたらしい。母が言ってた。
「おとうが泣いたのは、尿路結石のときとマッツ(父の親友)が亡くなったときだけね」
そういえば、世界で最も有名な小説はなんだろうか、という疑問を何年か前に持った。それで調べてみると、なにやら「世界10大小説」なるものがあるらしい。ドストエフスキーに始まり、トルストイ、メルヴィル、バルザック。よくわからない。よくわからないが、最も古い作品だと今から276年前のものらしい。
そういえばシェイクスピアの4大悲劇を知らない。源氏物語もきちんと読んだこともない。ダンテの神曲も知らない。
そのくせ、人様よりもほんの少しだけ教養がありますよ、という顔をして外を歩いている。これはよろしくないですねぇ。
そういうわけなので、この年末にブックオフに行ったわけである。世界10大小説と、それに比肩するような有名なものを集めよう。
また、カラマーゾフの兄弟は持っているものの挫折している。今年こそ読み切ろう。ということで以下を買った。
・罪と罰
・ファウスト
・嵐が丘
・ボヴァリー夫人
・白鯨
・百年の孤独
・赤と黒
・若きウェルテルの悩み
・自負と偏見
・ライ麦畑でつかまえて
見る人がみれば「はいはい、なるほどね」だし、またほかに見る人がみれば「カスめ、どうせ読まないくせに買うなハゲ」と思うような作品群であろうかと思われる。
いまはとりあえず『嵐が丘』を読んでいる最中。
で、ブックオフの100円コーナに並ぶドストエフスキーの『罪と罰』を手に取り、こう思ったのである。
(これ、誰のドストエフスキーだったんだ?)
つまりは前任の所有者は誰だ? ということである。ブックオフというのは中古本を売っている場所ですから、陳列されている本には必ず「前任者」がいることになる。
『ボヴァリー夫人』も『赤と黒』も『白鯨』も、ブックオフの100円コーナーに当たり前のような顔をして並んでいる。
ここにこの本たちが並んでいるということは、前任者も読んだはず、というか持っていたことは確定しているということで、ここにこの本たちがあるということは、前任者がやむを得ず、なんらかの事情でこの本を手放したことも確定しているわけである。
普通の人なら『カラマーゾフの兄弟』も『白鯨』も手元に残しておきたいものではあるまいか。だから前任者たちは本当にやむを得ない事情から手放したのであろう。そう考えると前任者に感謝したくなる。お繋ぎいただきありがとうございます、だ。
ファウストを書いたゲーテは1700〜1800年代のドイツ人である。ドストエフスキーは1800年代のロシア人だ。先に書いたカーネギーも夏目漱石も三島由紀夫も川端康成も、ビジネスマンでいえば盛田昭夫も稲盛和夫も、みんな「過去の人」である。ドストエフスキーらにいたっては日本人ですらない。
過去の偉人、過去の文明とのアクセスがたったの数百円でできる。自分の背景に、ガチの偉人が人生をかけてこねくり回して描いた物語が追加される感じ。
これがいいなと思っている。
なんなら本の外にある物語も追加される。
私が持っている『竜馬がゆく』は父の親友の物だった。つまり、前任者が父で、その前の前任者が親友だということになる。その親友の前にも、もしかしたら誰かがいるかもしれない。こう考えると私が持っている『竜馬がゆく』にも後任者が現れるはず。私がこれを読んでどうだったか、何を思ったか、こういう話を後任にできるじゃないか。私の場合の後任はおそらく我が子であろう。
おそらく、私にとっての本とは、過去と今、偉人と自分を繋ぐものであり、それが物質化しているものだと言える。この物質の背景には何らかの物語がある。
つまり、私にとっての本とは腕時計のようなものであり、触ることができる思想のようなものだともいえる。
なぜ電子本が読めないか。
オンリーワンを欲しがる生き遅れ浪漫コレクターだから、ということになりますわな。
なっはっは!
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〈あとがき〉
今年はここに書いた小説たちを絶対にすべて読んだろ、と思って息巻いているところです。いまのところ首尾よく順調に読み進めています。情報だけをゲットするならば音声や電子でOKだと思うのですが、そこにはなーんかいけないんですよね。今日も最後までありがとうございました。
【関連】竜馬がゆくのお話について