シッポがほしかった。
小さなころ、ドラゴンボールを読んだからなのか、どうしてもシッポがほしくなった。
孫悟空の少年期には、そのおしりにしっぽが生えていて、ズボンにシッポ専用の穴が空いていた。ときにはシッポをフル活用して戦うこともあり、私は幼心に「ワテもシッポがほしい」と思ったものである。
自分のおしりを触っても、当然シッポは生えていない。尾てい骨がシッポの名残だ、みたいな本を読んだが、今このときにシッポがなければそれはなんの意味もないので、とても悲しかった。
そんなことを考えていたのは、おそらく小学校低学年、6才くらいのときだったかと思う。鏡にうつる自分のちんまりとしたおしり。シッポは生えていない。
というわけで、
スズランテープを使って自作のシッポを作った。
ホンモノのシッポというのは、たぶんフカフカとした毛に覆われていて、自分の意のままに振ることができる。
スズランのシッポには毛が生えていないし、自分の意思も伝わらない。神経が通っていないから。
ズボンを履いて、おしりの部分にテープを入れる。できるだけ長くしてヒラヒラさせる。
シッポだぁ。
とても満足した。
シッポがほしい、と思うのは私だけが持っていた感覚だろうか。いや、そんなはずはない。全国の元男の子の大人のみなさんはきっと、シッポのある人生を一度想像されたはずである。
元女の子のみなさんがどうだったかはわからない。シッポへの憧れは性別を問わず持つものなのだろうか。わからない。
そういえば子どものころ、シッポがほしいと思ってたなぁ、という記憶を呼び起こしてこれを書いた。いま、30歳を超えて、まがいなりに少しだけ大人になって思うのは、
シッポなんていらない。
ということである。
なぜシッポがほしかったのかわからない。
でも、とにかくほしかった。
フカフカの毛で覆われた、自分の意のままに動くシッポが、ほしかったの!
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