なぜ豊かな人はもっと豊かになるのか?
豊かな人はより豊かになり、そうでない人はそうではない。代表例は投資家。元本が大きければ大きいほどに複利の力で資産は伸びる。
昨今のNISAはまさにそれにあたる。あれは投資可能枠をいかに早く埋めるかのゲーム。
資産というと金融資産が第一に思い浮かぶが、それだけではない。知識と経験もまた大事な資産になる。
私たちの周りにもいないだろうか。
あの人は容姿端麗、文武両道、まわりを豊かな友だちに囲まれて、得るべきものを全て得ている、と憧れてしまうような、そういう人間。
知識・経験の蓄積と集積の現象には「マタイ効果」という名がつけられている。つまり、持っている者にはもっと与えられ、持たざる者はとことん奪われる、という、ある種の鉄則。
マタイ効果は、その名を聖書の一節から取っている。新約聖書のマタイによる福音書25章29節にその原理が記されている。おぉ、聖書。っか!
この節は端的に「持っている者は与えられ、持っていない者は奪われる」と訳される。
聖書の文脈では、この言葉は才能や恵みに関するたとえ話の一部として用いられ、神から与えられた才能をどのように利用するかに応じて、その人の運命が決まると説くものだ。
知識や経験をどのように利用するかで、その人が自然と豊かになっていく様である。
マタイによる福音書25章では、ある主人が旅行の間、自分の財産を3人の人間に託す。
各人には異なる量の「タラントン」(当時の貨幣単位)が渡され、主人の帰還時にはそれぞれがその財産をどのように活かしたかが問われる。
2人の人間は与えられた財産を増やすことに成功するが、最後の1人は自分に託されたタラントンを地面に埋め、何も増やさないことを選んだ。
結果として、何も増やさなかった人間は財産を取り上げられ、増やした2人に分配される。
繰り返しだがこの話は「持っている者は与えられ、持たざる者は奪われる」という原理が示されている。
この聖句をマタイ効果の説明に引用する際、その意味は物質的な富だけに留まらない。
知識、スキル、経験など、あらゆる資源や能力に適用される普遍的な原理と解釈されるわけ。
社会や経済においても、知識や経験が豊富な人はさらに多くの機会を引き寄せ、その結果、より大きな成功を収める傾向がある。先ほど書いたような人のことだ。
逆に、これらの資源を持たない人は、機会を得ることが困難になり、さらに不利な状況に置かれることが示唆される。聖書ってすごい。っな!
マタイ効果は与えられた機会を最大限に活用し、自らの能力や資源を増やすことの価値を強調し、個人の成長と発展に対する動機づけの根拠となる話だ。
この記事で訴えたいのは「好奇心を失わずに暮らそう」である。
好奇心は私たちが世界をどのように見るか、どのように経験するかを根底から変える力を持っている。
好奇心があれば、マタイ効果は恵まれた者の特権ではなく、すべての人がアクセスできる無限の可能性の扉を開く鍵となる。
伝えたいのは、好奇心こそが私たちの最も貴重な財産であり、それを失わずにいることが、私たちを豊かにし成長させてくれるということで。
好奇心を持つことは、世界の不思議への扉を開くことであり、それによって新たな知識、新たな経験が私たちのもとへと流れ込んでくるといえる。
結局のところ、マタイ効果は私たちに選択を迫る。
それは、すでに得たものに満足して動かない選択か、あるいは常に新しい好奇心を追求し、未知の世界へと足を踏み入れる選択か。
恐れることなく、好奇心を燃料として、未知への探求を続けること。それが、私たちがこの世界で生きていく上での最大の潤滑油になる。
私たちの周りには、知られざる物語や隠された知識が溢れている。それらは好奇心を持つ心にのみその扉を開く。星空を見上げる子どものような純粋な好奇心が、私たちを新たな発見へと導いてくれる。
もう一回書くけど、このエッセイが伝えたいのは、好奇心を失わずに生きることの価値だ。
それは私たちが持つ最も素晴らしい贈り物であり、人生を豊かに彩る鍵。
好奇心は知識と経験を引き寄せる磁石。私たちが世界をより深く理解し、新たな視点で見ることを可能にしてくれる。
好奇心を失わずに暮らそう。
そうすれば自らの手で未来を切り開くことができ、結果、人生をドラマチックなモノにしてくれるはずだから。
っね!
【関連】結局行動あるのみ