世の中、成果を求めすぎ【勝手にリレーエッセイ2023冬#4】
本編
人生は登山に例えられることが多い。
頂上を目指して、ゆっくりと一歩ずつ。木々の中を歩いていると、ただ前に進んでるだけのような気になるけれど、山にはきちんと勾配があって、頂上付近まで行けば、元いた場所より標高の高い地点にいつのまにか着いている。
高い地点からの景色は、きっといいだろうね。
この記事は、これまで各メンバーの皆さんが書かれてきたことの言い換えにすぎないものになる気がするんだけど、私は以下のようなことを自分に言い聞かせる。
「成果に縛られすぎるな。その過程を楽しめ。曖昧なものに意味を見いだし、発見せよ。ボケ」
リレーエッセイ、初回の私は「夢の見つけ方は行動を続けること」と書いた。ヤスさんは「夢は人が運んできてくれる」、morii otoさんは「夢は幸せになるための手段の一つ」、長谷川さんは「夢を追う最中のメンタル」について書かれた。
他グループに目を向けると「夢に縛られ過ぎないほうがいい」であるとか「小さな幸せを叶えられるなら大きな夢はいらない」というようなニュアンスの記事が目につく。
ふむ。
仕事をしていて、こんな質問をされたことがあった。46歳の男性。私のことを好いてくれている男性から。お刺身を食べながら。
人生観を問う質問。特に夢も目標もない人生を送ってきた私。何か高潔な倫理観があるわけでもない。仕事を通して実現したいことも、ない。
「…特に目標はないです。ただ、これが登山だとしたら、道ばたの植物を観察しながら、ゆっくり登っていたい。標高何mを目指すなんて考えずに」
「たまに後ろを振り返って思いたい。ずいぶんと景色がいいところまできたなぁ。それも私一人じゃなくて、多くの人と一緒に」
成果、夢に縛られたくない。その過程を楽しんでいたい。起きている事象をすぐに言語化する現代人ぽいことはしたくない。
「この標高にある植物は、さっきまで見てたものとは少し形が違うなぁ」と思ってたい。すぐに答えなんか見つからなくてもいい。曖昧なものに意味を見いだせるのは人間だけだから、それを楽しみたい。
グループのメンバーの方々が
書かれたことを登山に言い換えれば、
で、その道の景色を楽しむ。誰かと。一緒に。
もちろん、高みを目指して努力を続けることは大切だと思う。でも、疲れちゃう。だから、あとで振り返って気づく程度でいいと思う。
私は自分に言い聞かせる。
成果に縛られるな。道中を楽しめ。
標高の高い山ほど、
頂上に着くまで時間がかかるんでしょ。
なら、
でっかい夢ほど、ゆっくり叶うよ。
[1,218文字]
【勝手にリレーエッセイ2023冬"夢"】
最後は…
J M Chiekoさん! よろしく!
勝手にリレーエッセイ2023冬"夢"は、まもなくゴール!
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