母をたずねて三千里は距離感バグりすぎ。
母をたずねて三千里といえば昔やってたアニメ。めちゃ昔にやってて、私は子どものころに再放送かなんかで見たような見てないような。
この種類のアニメといえば、フランダースの犬とあらいぐまラスカルだ。
が、フランダースの犬にしても、あらいぐまラスカルにしても、そしてこの母をたずねて三千里にしても、その物語の詳細をまったく覚えていないのが心苦しい。
フランダースの犬もあらいぐまラスカルも、タイトルだけ見ると「なんのこっちゃ?」なんだけれど、この『母をたずねて三千里』だけは一撃で理解できる。
なんか理由があって母と子が離れ離れになっちゃって、子どもがお母さんに会いたいがために、なんやかんや会いに行っちゃうんだろうな、
と、まぁここまで想像できるのである。母をたずねて三千里というタイトルの文字数は9文字なのに、ここまで想像できちゃうこの感じ。
にしても、三千里。
これがどれほどの距離なのか理解ができない。私が覚えている限りでいうと、たしか主人公のマルコだったかポーロだったかなんとかって名前の男の子は、海を超えてアルゼンチンだったかブラジルだったかイスカンダルとかまで行くはず。ママに会いに。
ママはなんでイスカンダルみたいな遠くに行っているんだろう。男の子がかわいそうじゃないか。アニメを見てても、なんかよく分からなかった記憶がある。
その距離三千里だ。
「里」なんだよね。
これがややこしい。メートル表記してほしい。「里」の距離感がとにかくわからない。個人的に認識している限りで「里」が登場するものといえば、
氷川きよしの名曲『箱根八里の半次郎』あたりがまず浮かぶ。振り切る前のきよしくんの、あれはデビュー曲だったか? 歌詞の「やだねったらやだね」が有名なあの名曲。
箱根八里の半次郎の歌詞はこれ以上まったく分からないし、分かろうともしてないけれど、どうせ旅人の歌ということにしておくとして、そのレベルでも「八里」である。なんか遠そうな旅物語っぽいのに「八里」だ。
それから「里」といえば四字熟語でいうところの「五里霧中」にも「里」が入る。五里霧中はまあ、あたり五里にわたって霧の中ってことだから転じて「あ〜、物事をどう進めればいいのかわからないよ〜!」という状態を指す。そんな状態なのに「五里」である。
氷川きよしの半次郎が八里を「やだねぇ」と言っていたのを考えてみても、霧の中の五里を考えてみても「里」はたとえ「一里」であっても結構遠そうな気がする。
それに対して、母をたずねて三千里。
3000である。
まるでドラゴンボールのフリーザの戦闘力のような「バグ」を感じる。フリーザの戦闘力といえば53万だが、これがどれだけバグっているかというと、ナメック星人のパワフルボーイことネイルでさえたしか4万2000。そして地球育ちの最強主人公こと孫悟空でさえ18万だった。
これを大学生の預金残高に置き換えてみると、非常に恐ろしい。みんなが4万2000円とか、せいぜい18万円なのに、フリーザだけは53万円を持ってる。
フリーザが自信たっぷりの顔なのもうなずける。
子どものときにこれを読んだ私は、何度もこの530000という数字の並びを「いち、じゅう、ひゃく、せん……えっ!?」と数えなおしたものである。
要するに、母をたずねて三千里の三千里というのは、途方もない距離感なのだ。
主人公のマルコがたしか、イタリアにいたことを考えてみると、アルゼンチンだったかブラジルだったかイスカンダルまでの距離ってのは、それくらいの距離感があるものである気がする。
おそらくメートル表記すれば、万単位はくだらない。東京大阪間はどこ吹く風。とにかく恐ろしいほどの距離を主人公は旅するわけだ。
こう考えると、親子の絆ってのは、距離なんてカンケーないんだなぁ、と思うんですわぁ。
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