64歳くらいにワープしたくなる。
ビートルズの楽曲に『When i'm Sixty Four(64歳になっても)』というものがある。作詞はポール・マッカートニー。
この曲は彼が10代のころに作った楽曲で「僕が64歳になっても君は変わらず愛してくれるかい?」というベタ中のベタのラブソング。スローテンポの中にクラリネットが美しく朗らかに響く牧歌的な曲だ。
あ〜、早く64歳になりてぇ。
こう思うのである。私はいま33歳だが、第一忙しすぎる。仕事のことも考えなきゃならんし、文章も書きたい。京都におでかけしたいし、松阪牛も食べてみたい。なによりだれにも支配されない自分100%の時間がほしい。自分100%の時間が。
だから、
もしも道を歩いていて、目の前に亜空間トンネルが出てきたら。
そのトンネルの前には横長の木の看板が立っていて
そう書いてあったなら。トンネルからは「ブーン」という音が鳴っていて、ほらほらトンネルにお入りなさいよと私をいざなう。疲れている私はきっと躊躇せず飛び込んでしまうかもしれない。
それで64歳になるのだ。
悠々自適な老後ライフの始まり。
When i'm Sixty Four|The Beatles
でも、本当にそういう場面に出くわしたとして、私はトンネルに飛び込むかな。
妻と結婚して新しいマンションに引っ越すとき、あれは結婚して1ヶ月くらいのころだったのだけど、引越し作業の最中に義理のお父さんと私2人で大きなゴミを捨てにいった。粗大ゴミを捨てる場所に行くためには車に乗る必要があって、私は義理のお父さんと初めて2人きりになった。
義父は太平洋のようにおおらかな人だ。私が結婚の挨拶をするために妻の実家に訪れたときには「やあやあ、どうぞどうぞ」と言って微笑みを絶やさず上座に座らせてくれた。娘をもらってくれてありがとう、ということを言ってくれる。
ゴミを捨てるために白髪まじりのお義父さんと初めて2人きりになった車内で、静かに、ゆったりと話してくれたのは、妻が生まれて育ててきたこれまでの道中のことで、それはもう大変な苦労をしたということで。
私は「あぁ、今この瞬間はきっと大事な場面だ。聞き漏らさず覚えておこう」と思って話を静かに聞く。だから5年たった今もこうして覚えている。
妻はしょっちゅうお義父さんのことを小馬鹿にしている。でも話を聞く私には、きっと妻は心のどこかではお義父さんを大切にしているということが伝わっている。
娘を持つ父親の悲哀みたいなものは、この年齢になると私も少しは理解できるような気がする。きっとお義父さんはさみしかったんだろう。
当時のお義父さんは64歳だった。ぜんぶすっ飛ばしてワープすることを選ばず、苦労を重ねて娘を育てたその年輪みたいなものが、顔のしわと白で染まった髪の毛に刻まれている。
あまりに忙しすぎるとつい「このまま全てを投げ出して、自分の老後世界にワープしたい」と思うことがある。
でも歴史上で本当にワープできた人はいなくて、私もお義父さんと同じように、少しずつ酸いも甘いも噛み分けながら64歳になるんだろう。
正攻法で64歳になりたいな。
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