見出し画像

自信がない人ほど常連ぶる。

カウンターの端、店員が立つゾーンと客席の境目に座る男がいる。小綺麗なジャケットに控えめな腕時計。彼は少しだけ椅子をずらし、店全体を見渡すポジションにいる。それが自然であるかのようだがその顔にはわずかに誇らしげな笑みが浮かんでいる。

その夜、私は馴染みのバーでひとり静かにグラスを傾けていた。グラスの中身はもちろんウーロン茶である。私はいまだにお酒を飲んでいない。一生飲めないから。


この店を知ってからもう10年くらいになる。カウンター越しに馴染みのバーテンダーが「イトーさんどうも」と微笑む。あ、どうもとだけ返す。


しかしその男がやってきて、さも昔からの客であるかのように、馴れ馴れしくバーテンダーに話しかけ始めた。



「いやあ、ここのジントニック、本当に絶品ですよね。僕も何度も来てるけど、いつも感心しちゃう」

バーテンダーは一瞬「おや?」という反応をしたがすぐに表情をにこやかに変え「ありがとうございます」と返す。その言葉の裏に「初めて見る顔ですが」と続けたくなる気持ちが滲んでいるような。


小綺麗な彼はさらに言葉を重ねる。

「マスター、いつも忙しいですか? いやあ、この店はね、本当に雰囲気がいいから人気になるのも当然だよ」

語尾に若干の含みを持たせて、何度も来ている風の評価しているかのようだ。はて、私がしばらく来ていない間に常連になった男なのだろうか。でもバーテンダーの様子を見ると、引きつっているのでそういうわけではなさそうだ。


つまり、この男は常連ぶる奴である。大好物がやってきた。このチャンスは逃すまい。

こういう「常連っぽい人」がよく陥る心理の浅はかさ。彼らは一種の擬態を試みているのだが、その実、周囲の人間に対して「僕を認めて」というサインを送っているに過ぎない。

常連とは、自然に振る舞いながらも無言の信頼関係を築く存在である。だが彼らは言葉の多さで関係を上塗りしようとする。


一方でその振る舞いを馬鹿にしつつも、少し羨ましいと感じている自分がいるのも事実だ。なぜなら、彼らには恥じらいがない。常連になりきれずとも、堂々と「自分はここに属している」と宣言できる図太さは、私に足りない素養。

バーの片隅からそんな男を眺める私の目線はあたたかい。彼がいなくなった後、バーテンダーが一言つぶやいた。

「ああいう人、年に数人来ますね。でもまあ、飲みやすいジントニックを出しておけば満足して帰るから、楽ですよ」

性格悪いな。

彼が店を去るとき「じゃあ、また来ますわ」と力強く言い放っていたが、その声はおそらく誰の記憶にも残らない。

手数と雄弁さで認めてもらいたがる人には、ちょっとだけイジワルしたくなっちゃうんだろう。その顕示欲と承認欲は見てる人にバレている。どんなにうまく隠しても、現実でもネットでも。


〈あとがき〉
やはり誰かの失敗とか、顕示欲と承認欲の狭間で溺れている様子ってのは見ても聞いても触ってもおもしろいもので、これは人間の本能なんでしょうね。バーにウーロン茶を飲みにいく私の辛さがお分かりいただけますか。もう慣れました。今日も最後までありがとうございました。

【関連】常連感についてはこちらもオススメ

いいなと思ったら応援しよう!