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リモート会議で「よいしょ」と言う人。

この数年で浸透したリモート会議。今日この記事ではリモート会議で無意識に「よいしょ」と言う人の存在について書きたい。

リモート会議に縁のない方はもしかすると意味がわからないかもしれない。なのでまずは簡易ながら「よいしょ」が登場する一般的な場面を考えよう。

よいしょが飛び出すのは重いものを持っているときの「よいしょっ」か、横綱土俵入りのときのギャラリーからの「よいしょ〜!」か、産まれて少し経ったころの赤ちゃんを抱き上げるときの「あ〜ん、かわいいねぇ、よいしょ」のどれかと相場は決まっている。

これ以外に「よいしょ」が登場することはない。

がしかし、現代のリモート会議でもなぜか「よいしょ」が登場する。パソコンを通して画面共有するとき、ちょっと資料を開くとき、そんなときになんともいえない「よいしょ」が現れるのだ。愛くるしいことこのうえない。意味のわからない方は「そういうものなのね」「そういう人がいるのね」と思ってほしい。


で、思うのだ。


なぜ「よいしょ」が出てくるのか? 横綱土俵入りのときは気合いがいるのはわかる。ここにはたしかに「よいしょ」が必要だ。雲龍型か不知火型のどちらかで土俵入りする神聖な横綱に対して「よいしょ〜!」とみんなが叫ぶ。赤ちゃんなどの重い物を持つときだってそうだ。腰に負担がかからないように「よいしょ!」と一息、即座に息を止め、力を込める。


つまり「よいしょ」は思わず気合をいれなければならないところにこそ現れる。


それなのにリモート会議の「よいしょ」はどうだ。画面共有なんざに気合いは不要だし、神聖なものでもない。むしろ俗っぽい。まさか、たかが資料に赤ちゃんのような愛おしさを感じているわけでもあるまい。



リモート打ち合わせで「よいしょ」を言う人の存在。愉快なことに一回気にすると止まらない。そこで私は打ち合わせのたびに「よいしょカウンター」を導入することにした。

まずはある会社の技術担当のTさん。きっちりした性格で、何をするにも丁寧。今日も言われた。

「じゃあ、こちらをお見せしますね……よいしょ」

あ、出た。何も持ち上げてないのに。しかも、一度言うと続く。

「次はこのデータも……よいしょ」

2回目。私の心の中のカウンターがまたカチリと音を立てる。優しいんだ、Tさん。きっとこういう人は、物理的に何かを持ち上げているときも、そっとサポートするタイプなんだろう。


次は別の企業の営業部のMさん。彼はフレンドリーで、場を和ませる天才。

「画面共有するね、よいしょ。ちょっと待って、あ、よいしょっと」

乱発だ。さながらよいしょ連射砲。30キロくらいの物体を持ち上げている気分なのかもしれないが、画面に映るMさんをいくら見つめても重いものを持ってない。

「イトーさん、画面見えてますかね?」

見えなかった。共有がうまくされていないようだ。なので「あー見えてないみたいです」と答える。するとMさんは言うのだ。

「あれ? おかしいな? よいしょ、よいしょ。これでどうです? あ、よいしょっと」

秋のよいしょ祭りである。思うにこういう人の「よいしょ」は周りに安心感を与える。リズムだ。Mさんはそのリズムで場の雰囲気を柔らかくしているんだろう。画面なんて見えなくていいですよ。


最後は先ほどのMさんと同じ会社の新人Hさん。まだ慣れていない感じがあるけど、誠実な人っぽい。

「えっと……すみません、資料を見せますね……よいしょ」

Mさん、君もか。「よいしょ」と言うたびに、ちょっと緊張してるのが伝わってくる。よいしょって、無意識に安心したいときにも出ちゃうんだろうな。


あれだ、たぶん、人間って優しいと「よいしょ」を言っちゃうんだな。よいしょは優しさのバロメーターみたいなもんかもしれない。私の個人統計だが「よいしょ」を言う人は、総じて優しい。そして、私はそんな「よいしょ」を心の中で数えながら、今日もリモート会議を終える。

ちなみに私。私は「よいしょ」を言わない。意識している。しかし、よいしょを言う人たちを見て、なんだかんだで癒されている。

よいしょを言う人は、とにかく優しい。




さ、この記事も長くなり過ぎるとよくないので、そろそろ終わろう。

公開ボタンっ、よいしょっと。


〈あとがき〉
クレヨンしんちゃんの名作回で、みさえがひまわりを妊娠していることが発覚する回があるのですが、この冒頭でしんちゃんが見ているドラマが「君のためならどっこいしょ」というドラマです。鳥山明のネーミングにもありそうです。ヨイショとコラショってキャラ、いそうですよね。今日も最後までありがとうございました。よいしょっと。

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