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哲学的な魚。

何度も言うが魚を食べるのが好きだ。


食べ物なんていくらでも選択肢がある。
肉、野菜、米、パン。

たしかに、牛肉は豪勢だし、鶏肉はさっぱりしてるし、豚は完璧な存在で、野菜は健康的だ。それでも、私は魚が好きなのだ。なぜかって? それは、魚が哲学的な存在だからだ。


まず、魚は静かだ。牛や鶏は何かと声をあげて主張する。牛なんか、ムダに大きいし、しかも「モー」と言ってくる。うるさい。かわいい。

それに比べて魚はどうだ。彼らは何も言わない。泳ぐだけだ。無言の美学というか、まるで禅の修行僧のように、ただただこの惑星に存在している。魚は沈黙の中に真理を見つける存在。


次に、魚には重力がない。過去にも書いたことがあるが、魚は水の中をスイスイ泳ぎ回っている。重力に縛られて地面にどっしり構えている牛や豚とは大違い。

牛どもは永遠に重力に閉じ込められているが、魚は自由だ。まるで宇宙飛行士のように、無重力の世界を漂っている。そう考えるとやっぱり魚はただの食材ではない。自然界の哲学者だ。


魚は謙虚だ。牛どもの豪華なステーキに比べて、魚はいつも控えめ。しかも種類が多いときた。サバやアジ、カツオにサケ......どれも違った顔を持っている。百面相だ。

人間社会で言えば、それは多様性の象徴だ。これに対して、牛肉なんて「サーロインかヒレか?」くらいの選択肢だ。ああせまい。多様性がない。多様性が求められるこの時代に、魚ほど時代にマッチしているものもない。


さらに、魚は経済的だ。肉を買うたびに財布の中を見て「ああ、今月の家計が......」なんてことになるかもしれないが、魚はそうはならない。

アジなんて見てみろ。

何匹買ってもお得。しかも健康にも良い。DHAだとかEPAだとか、ETCだかなんだか知らないがローマ字3文字なだけで、何だか知的に見える。魚を食べると頭が良くなるという噂まであるじゃないか。牛は? 豚は? あれはよくない。


最後に、魚は目が大きい。何かを知っているかのように、じっとこちらを見つめてくる。あの目には深海の神秘から、私たちがまだ知らない宇宙の秘密まで、何かしらの答えが宿っているような。牛ももちろん「モー」と鳴いて見つめてくるが、魚はただじっと目で語るのだ。

やっぱり魚が好きだ。彼らは私たちに何も語らない。だけど存在そのものが私たちに多くを教えてくれる。

だから私は今日も魚を選ぶ。次に魚を食べる時、少しでもその存在の奥深さを感じてほしい。

やっぱり、魚が最高ってこと。


〈あとがき〉
とまぁ書きましたが、なぜ魚が好きなのかの理由は「小さいころにたくさん食べたから」だと思います。父は浜の出身で、祖父は漁師でした。お母さんはいつも魚料理を出してくれましたが、いま思えばあれは、父の好きな料理を出していたのではないかと勘ぐったりしています。今日も最後までありがとうございました。

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