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いつか実家になる場所。
と、書くといかにもキャッチコピーっぽい。
住宅メーカーにありそうなおセンチな訴求をしてくるキャッチコピーだ。親の心理を巧みについたキャッチコピーだが……うん、悪くないね。
ちょっと広告画像を貼ってみよう。はい、どん。
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※この広告はこの世に存在しない。
何度も書くが、我が家にはまだ子どもがいない。いつか私と妻を選んで生まれてきてくれる命を待っている状態である。
我が家はぜったいに楽しいゾ。
この記事のタイトルは、妻と会話をしているときに、私の頭の中から湧いたものである。こんなキャッチコピーはこの世に存在しない。
妻との会話はこうだ。
「そういや、今俺たちが住んでいるこの家って、俺たちからするとただの部屋で、実家って感じではないよね」
「あー、たしかに。実家ではないね、ここは」
「でもさ、子どもがいたら、その子どもの視点で見ると、ここも実家になるってことだよね」
「あぁ〜、たしかに」
「じゃあ、俺たちはいま、いつか実家になる場所に住んでるってことだね」
あいにく妻は「夢のマイホーム」反対派である。
セキュリティーの問題、土地に縛られる問題などから、一生賃貸でいい、という派閥にいる。一戸建てで育った私だが、妻がそう言うならそれでいい。
…
思えば、小さなころ、富良野のひいおばあちゃんの家に行くのが何よりの楽しみだった。父が運転する車に乗って、山道を走る。
山道を抜けると、道がひらけて十勝連峰を真正面にすえ、盆地の富良野が目の前に広がる。あのラベンダーの景色。夏の富良野の送り火、夜空にはじける花火。まさしく大冒険。
富良野に住んだこともないのに、帰ってきたなぁと思ったもので、子ども心に楽しみだった。札幌から離れた土地に、自分と血のつながった存在がいる、ということの不可思議さに思いを馳せていたわけではないが。
…
私の両親も、妻の両親も、札幌市内に住んでいる。おばあちゃんは私の母方しかいなく、そのおばあちゃんも札幌在住だ。
仮に我が家に子どもが生まれたとする。
私の親類縁者は、全員が札幌にいるから、私が小さなころに体験したような里帰りはさせてあげられない。
これが少し残念だ。
あの不思議な感覚、つまりは冒険。これをさせてあげられない。遠く離れた大自然の中に、血のつながっただれかがいる、という感覚を体験させてあげられない。
どんな子に育つんだろうか。
でも、待てよ?
私の妹は関東にいるじゃないか。
ついでに私の義理の姉は
オーストラリアで暮らしているんだ。
私が小さなころは、北海道内だけで完結していたが、私の子どもの世代になると、この舞台が関東になり、オーストラリアになる。そう考えると、やけにスケールの大きな人間になるのではないか? とも思ったりする。
さらにいえば、noteにおいては全国津々浦々にお友だちもいるではないか。血はつながってないものの、全てを知っている親せきのような友だちが、日本全国にいる。いつか我が子と訪ねてみてもおもしろい。
いずれにしても、我が子には素晴らしい体験をさせてあげられるはずだから、いつまでも待っている。
いつか、きみの実家になる場所でずっと。
それまで日々だれかのために動き、
どこにいっても恥ずかしくない大人でいよう。
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<あとがき>
私から見た義理の姉、つまり妻の姉はオーストラリアのとある街に暮らしており、日本に帰ってくることはおそらく永久にありません。向こうに家族がいるのです。妻はオーストラリアに数年いた経歴があるので、やけにあっちの事情に詳しいです。そんな妻の英語力がどの程度のものなのか、夫である私は知りません。今日も最後までありがとうございました。
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