【社会】他人から見た「子どもがかわいそう」
こんにちは。
きーちです。
性格というものは一生付き合うしかないもので、いつそれに気づいて、それを踏まえて歩む道を決めるのかが大事であるという持論があります。
私は人の話を素直に聞けない性格で、よく妻に「人生損してるよ、かわいそうに(笑)」といわれます。
さて、今日は子育てをしていて遭遇する、他人から見た「子どもがかわいそう」について書いてきます。
あなたは人生でかわいそうといわれたことはありますか。
もしくは、いままでかわいそうと人に行ったことはありますか。
子育てをしていると、たくさんの「子どもがかわいそう」に遭遇します。
まだ子どもが小さいのに、保育園に入れるなんて子どもがかわいそう。
暑いのに子供を外に連れていくなんて子どもがかわいそう。
こんな満員電車に子どもを連れてくるのなんて子どもがかわいそう。
公園で遊んでてけがをしてしまって子どもがかわいそう。
きちっとしつけをしてなくて子どもがかわいそう。
この「子どもがかわいそう」は、我が家の場合は親世代からよく言われます。
子どもは本当にかわいそうなのでしょうか。
基本的には、この「かわいそう」ということばは他者が物事を評価する際に使うものです。
当事者は自分がかわいそうだとか思うことは相当理不尽じゃないと思わないと私は思います。また、比較対象がなければ成立しません。
大人であれ、子どもであれ、生きていくには環境やできごとを受け入れなければならないことが多くあります。その受け入れなければならない環境やできごとに対して、外野から「かわいそう」といわれたら、「では、どうすればいいのでしょうか。何かしていただけるのでしょうか?」と、私はのどまで出かかります。
もちろん、自分たちの状況にあったアドバイスは積極的に受け入れたいと思います。ただ、「かわいそう」とだけ言われてしまうと、こちらとしてはどうしようもなくなります。
もし「子どもがかわいそう」だと思ったら、親には「かわいそう」だとは伝えずに、状況を聞いてあげてください。それを踏まえて、どうすればいいのかを相談にのってもらえると心強い育児パートナーになります。
「子どもがかわいそう」
「昔はこうだった」
確かにそうかもしれません。
ただ、我々も子どものことを第一に考え、最新の情報を学びながら、一生懸命子育てと向き合っています。
そこを理解したうえで関わってもらえるとありがたいです。
今日は、他人から見た「かわいそう」について書いてみました。
このところ、娘が寂しい思いをしているようなので、帰ってきたら存分に遊びたいと思います。
それではまた。
きーち