【学び】意味がないことと意味のあること
こんにちは。
きーちです。
4歳の娘と毎日公園に遊びに行く日々が続いています。
ブランコで遊んだり、滑り台を滑ったり、鉄棒にぶら下がったり、砂場で穴掘りしたり、池に葉っぱを流したり、坂道を自転車で下ったり。
よくもまぁ、こんなに自分で遊びを考えるなーと本当に感心します。
そんな娘は、この頃植物を育てることに関心を持っています。
公園で見つけた葉っぱを何枚かちぎって持ってきて、私にこう言いました。
「お父さん、これ、家で土に植えて、食べたり、じいじばあばにあげたりしたいの。」
娘が持ってきた葉っぱはつつじの葉でした。
「これはね、つつじの葉だから、食べられないし、葉っぱは土にさしてもなかなか育たないよ。」
私はそう伝えましたが、娘はどうしてもやりたいというので、葉っぱを持って帰りました。
帰り途中でも、「この葉っぱもいいかもなー」と言いながら、植える葉っぱを選んでいました。
家に帰り、妻に葉っぱを見せ、娘は説明しました。
「あのね、お母さん、これ、家で土に植えて、食べたり、じいじばあばにあげたりしたいの。」
妻は娘に聞こえないように私に聞いてきました。
「これってつつじの葉で、バジルにはならないとか、土に葉をさしても育たないことは伝えてある?」
「うん。」
私が答えると、妻は、
「オーケー。」
と即答しました。
「これはね、つつじの葉だから、食べられないし、葉っぱは土にさしてもなかなか育たないよ。」
妻からそう説明されると、娘は少しだまり、ぽつりとこう言いました。
「でも、やってみたら楽しかもしれないから、やってみたいんだ。」
なるほど。
やってみたら楽しいと思ったからやりたかったんだね。
「これをやっても意味がないよ」と言ってしまうことって振り返ってみるとかなりあると思います。
子どもにとってはやってみたら楽しそうだと思っていることっていっぱいあります。
それは往々にして大人から見れば意味を感じない、時として無駄なことのように見えます。
それでも、そこでそれを「意味がないよ」と言ってしまうことは、楽しみを奪っているのかもしれないなと思いました。
楽しい。
これは人それぞれです。
相手が大人であっても、子どもであっても、その人が楽しいと思うことは楽しいわけなので、それについてとやかく言うことは野暮なのかなと思います。
だって、自分が楽しいと思っていることに、
「いや、それ意味ないよね。」
とか言われたら、悲しいですからね。
私は娘に「これをしたら楽しいかもしれない」と言われたことがすごくうれしかったです。
これからの娘の「楽しいかもしれない」をつぶさないように。
そして、私も自分の「楽しいかもしれない」を探して自分の人生を楽しんでいきたいと思った一連のエピソードでした。
今日は自分にとって意味のあることはそれだけで意味があって、他人にとってそれが意味のないことであってもそんなことはどうでもいいことについて書いてみました。
それではまた。
きーち