絶望
以前、希望という記事を書いた。
今度は絶望について書いてみようと思う。
絶望、それは一体何なのだろう。
エネルギーか。舞台の終演か。
人は死ぬ。それは変わらない。それが絶望だと思ってしまう。
結局は無に帰する。
私のあれやこれも。世界のあれやこれも。地球のあれやこれも。
こう考えていると怖くなるし、破滅的なことばかりを考えてしまう。
でも、私は、その絶望の中に希望を見いだすことが出来るのが人間だと思う。
希望の記事で、私は希望という言葉が嫌いだと言っておきながら、希望の話をするのを許して欲しい。
確かに絶望だ。だって、私の人生はいつか幕を下ろし、終わるときが来る。
だけど、今はそのときではない。それが希望なんじゃないか。
今がその終わりではない。この事実が希望になり得ないか。
そう思っている。
もう一回。もう一歩。
私の人生を私は生きるのだ。例え、いつか終わりが来ようとも、私はそれまでの時間を精一杯生きてみせると。
だから、今の私の見解は絶望とは、希望である。というものだ。
まだ私たちには、絶望をするだけの時間を与えられている。
そう考えてみることにする。
今の私はこんなことを言えるまでに調子が良い。
本当に調子が悪かったときは、自暴自棄になって、もう全てがどうでも良いと思えていた。
私は運良くこの苦しみに耐えることが出来ただけなのかもしれない。
でも、いちばん大きな絶望は希望に変えることが出来たんじゃないかと思っている。
これからも、何度も絶望しては、それを希望に変えていける強さを持っていたい。
それが決して簡単な事ではないと分かっているけれど。