見出し画像

ドイツ人コミュニティーがあった昭和の東京

この間、夫が買ってきてくれたハンバーガーを久しぶりに食べようとしたら、ある絵が浮かんできた。それは東京の地元にあったジャーマンベーカリーというドイツのケーキやパン、軽食など売っている店の壁にかかっていた絵だった。1960年代の終わりごろで、まだマクドナルドなどがくる前、ハンバーガーという言葉さえ知らなかったのだが、絵に描かれたバーガーはとてもおいしそうだった。しかし母にいっても彼女が注文したのはいつもホットドッグで、理由は夕飯が食べられなくなるから、というものだった。その店はとっくに閉店したが、名の通り他では見られない本格的なドイツのベーカリーだった。懐かしい。

ジャーマンベーカリーだけでなく、私が生まれてから小学校高学年まで住んでいた地元には、1990年頃までドイツ学園という学校があって、実家裏の坂を上がっていくと、ドイツ人と思われる子供逹が遊んでいるのを見かけた。学校には寄宿舎があり、近所にはいわゆる洋館もあって外国人家族が住んでいたのを記憶しているので、そのなかにドイツ人もいたのだろう。そういう環境だったためか、通っていた幼稚園には金髪のドイツ人の男の子がいた。幼い子はたぶんどこでもそうなのだろうが、私は彼を外国人と思っていなかった。金髪で青い目なのは、彼の個性でしかなかった。彼がどのくらい日本語ができたか、もう覚えていないが、私にとって彼が近くにいたのはプラスに働いたと思う。その後カナダやアメリカにいって、自分と容姿の違う人たちに囲まれてもそれほど意識せずにすんだのは、その子のお陰だと思うのだ。

私はドイツ語が全くできないが、ドイツと聞くと育った地元を思い出す。洋館が次々とマンションに建て替えられてから、あの頃東京の一角にひっそりと暮らしていたドイツの人たちは、現在どうしているのだろうか。ドイツ学園は横浜に移転して、今地元には、ジャーマン通りという名前だけが残っているようだ。

いいなと思ったら応援しよう!