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2025年1月1日/夕日に願いをかけて

待ちに待っていたような、待ちに待っていなかったような2025年のはじまり。

昨日、ほんとうは2024年のことをここに綴ろうと思っていたのだけれど、
旅の都度noteを書いたり人と話してアウトプットをしていたおかげで、1年を通してだと振り返ることがなさすぎることに気がついた。
(あとは、1年間の間にいろいろあり過ぎて、振り返ることがものすごく難しいことにも。)
だから、2025年1月1日の記録と、願う今年の姿をここに遺しておきたいと思う。

ひとり、ともだち、年末年始

年末年始、ほんとうは家族や親戚と過ごすはずだった。でも、多分神様が次に組み立てる積み木に迷ったのだと思う。
クリスマスイブに始まった青春18きっぷの旅は、いつのまにか横須賀にまで私を連れてきた。なんてことだ。

さらに、年明け前に広島でお仕事が入っていたため、それまでには帰らなければならなかったのだが、「せっかくずっと会いたかったみんなと会えたのだから、もう少し長居したいな~」とか思っていたら、広島でのお仕事が別日になってしまった。
いよいよなんてことだ。

そんなこんなあり、大切な人たちと時間を過ごせることへの嬉しさも、安心感もありながら、横須賀で年末を過ごした。

年が明けて、お雑煮とせなさん特製あんころもち(激うま)を食べて、セキララカードをやってから海岸に行った。
日差しのあったかいところで寝っ転がったり、波と遊んだりほわほわ過ごしていた。
時々携帯やみんなとの話に夢中になっていると、「おーーーい!!!」と声をかけるかのように波が強く押し寄せてきて、構ってもらおうとしているみたいで可愛かった。

散々遊んで海に触れて青春をした後、2人とバスの中で解散をして、私は大好きな場所へ向かうためにバスの昇降口から踏み出した。

藤沢

ここに来るのは、一体何度目になるんだろう。
私の大好きな場所、記憶の生きる場所。

最初は好きなアニメの聖地巡礼のつもりで遊びに来ただけだったが、
いつの間にか江ノ島水族館の年パスをゲットしてしまい、関東に来ると必ずと言っていいくらいの頻度で訪れるようになっていた。

初めてN/S高で出来た友達と遊んだ場所でもあるし、お付き合いしていた人とデートに行った場所でもある。(同時にデートをすっぽかされた場所でもある。笑)

何にしろ、自分にとって特別な場所であることは確かだ。
そんな場所で、私は元旦を過ごすことにした。

江ノ島水族館

片瀬江ノ島駅に着いて、最初に向かったのは江ノ島水族館(以下えのすい)。
もう水族館の前に着いた時点で、嬉しくて、懐かしくて、現実かわからない。ニヤニヤが止まらない、ドキドキ。
何度来てもこれなのだから、自分でも相当重症だと思う。笑

こうして写真で見返してみると、空が青く透き通っていて美しい。
冬の空の色って白く曇りががっていて、寂しげに風に靡くレーススカートのようだ。儚いが美しい。儚いからこそ美しいのだろうか。

元旦ではあるがなぜか比較的人は空いていたため、すんなり入場することができた。

入り口を通過し、階段を登った先に現れるのは絶景。

そして本館に入り、どこを見ても、青、海、命。
アニメのシーンや友達との記憶が蘇り、心が奪われていく。

いわしの大群、エイ、熱帯魚、サメ……。
たくさんの生き物が私を横目にスイスイ水槽の中を泳いでいる。

えのすいに入ると、いつも熱中してしまう生き物がいる。
ぷるぷるとかわいらしいフォルムをしているから、きっと好きな人も多いのではないだろうか。
そう、クラゲだ。

いろんななクラゲがたくさんいる中で、今日目に止まったのは今までに注目したことがない子だった。

"アマクサクラゲ"というらしい。
アマクサ、というと天草四郎を思い出す。

一度天草四郎の舞台の一部分をテレビで見たことがあり、それがたまたま若い青年(天草四郎)が斬首されるシーンだった。
怖いとは感じなかったが、悲しく、寂しくなった。今でも鮮明に思い出せるほど記憶に濃く残っている。

そんなシーンが頭によぎりつつ、写真を数枚撮った。

🐧

こちらはブレブレだが、近くまでわざわざ挨拶に来てくれたペンギン。

他の子達が私の前をスイスイ泳いでいく中で、この子は私の前でバタバタと挨拶をしてくれた。
意思を持って私のところに来てくれているような気がして、今にも喋り出しそうな気もしたし、心を動かされた。
嬉しかったので、ここに記録しておこう。

🍦

タイミング的にイルカショーやクラゲショーをみることは出来なかったのだが、カフェメニュー(?)を注文することができた。

以前来たときにも期間限定のラムネアイスを食べたのだが、今日も期間限定アイスを食べた。味はあまおういちご。
甘くてほっぺたがひんやりして、美味しかった。

本当はしらす肉まんを食べるつもりが、売り切れてしまっていた。無念。

🪼

帰り際、親戚と自分の家族へと思い、お土産コーナーに寄った。
そこで目を惹かれたボールペンがあった。1500円という今日の私には手の届かない価格だったので買うのは諦めたが、そのボールペンのパッケージを見つめていたときある言葉が目に入った。

『アマクサクラゲ ボールペン』

次もし出会うことができたら、私は1500円を惜しむことはないと思う。

江ノ島へ渡る橋

お土産も買い、満足したところでえのすいを後にした。
時間はもう4時近い。空の色が夕方に近づいている。

いろんな場所で夕焼けを見てきたが、やっぱり江ノ島の夕焼けは私にとって格別だ。
透き通った空に彩色する太陽を目にするたび、言葉にならない心の動きを感じる。

江ノ島に来たからには、神社に参拝しなければ。しないと気が済まない。
そう思って、辺津宮で参拝しようと階段を登っていったのだが……

人、人、人、人……。

曲がり角の先にどれくらい人がいるのかわからない、考えたくないくらい人だった。とにかく人だった。
いや、都会ではこれが当たり前なのかもしれないが、花火を周りに誰もいない状態で見ることができるほどの田舎から来た私にとっては、並ぶ気すら起きないのだ。

神道的に大丈夫なのかはさておき、回り道をして奥津宮から参拝をすることにした。

回り道は、隠れた美景スポットだった。
視界を隠す木々の茂りが途切れたときに広がった景色は、まるでカメラの中から覗いているような、穏やかな海原と富士山。

なだらかな坂は案外体力を消耗したが、美しい景色を見ることができたので嬉しくなった。

奥津宮に向かう最中、いろんな人とすれ違った。
中国語を話すカップル、お母さんと娘息子、三世帯親子、老夫婦。
きっとそれぞれにいろんなドラマがある上で、元旦に過ごす場所に私と同じ江ノ島を選んだんだろうと思うと、なんだか不思議な気持ちだった。でも、心の色は明るかった。

奥津宮について、参拝をして、おみくじを引いた。
結果は小吉でまずまず。だが、まるで私のことを全て見通しているかのような、というか私そのもののような内容でびっくりした。

5時を過ぎ、辺りはだいぶ明るさを失い始める。少し焦りながらも、歩いて稚児ヶ淵へ向かった。

稚児ヶ淵は私にとっても特にお気に入りポイント。ただ大きくそこにある海と触れられる気がする岩場が大好きだ。より近くに寄れる気がする。

階段を下って行った先に待っていたのは、思わず声を漏らしてしまうほど心を包み込む景色だった。

この景色を一緒に見たい。そう思って、思わずパートナーに電話をかけた。
電波が届かなくて、一瞬で切れてしまったのだけれど、なんとか一緒に見ることができて嬉しかった。
これからたくさん、こんな素敵な景色を一緒に見られたらいいな。

空に光る一番星は、自分が一番最初に見つけたような気がして、少し誇らしかった。

イルミネーション

稚児ヶ淵での景色を満喫し帰路に着こうとしたとき、赤い光がぽっぽっと木々に灯っていった。
江ノ島の冬お馴染みのイルミネーションが始まったらしい。

意図していなかったのだが、運よくキラキラした光に包まれながら帰ることになった。

一昨年の冬、江ノ島のイルミネーションで過ごしたことがある。
だから、江ノ島が光を取り戻した姿を目にしたとき、いろんな感情や記憶が蘇ってきた。
でも寂しくはならなくて。むしろ、自分が誇らしかった。
あれからいろんなことを経験して、失敗して、学んで。
不器用だけど一生懸命に生きてきた自分が、再びここにいて同じ景色を見ていることがすごく嬉しくて。
一昨年の私からまた変化した私で、イルミネーションが照らす道を歩いた。

気温は冷たいはずなのに、イルミネーションの近くはほんの少しだけ温かかった。光が微笑みかけてくれているような、そんな気がした。

昨日まで続いていた2024年

2024年。ほんとうにまとめ切れないくらい、周りの環境も、自分自身の変化も大きい年だった。

1月に体調や精神を崩してから、
2月のB-sideでハクナマタタやみんなと出会い、
3月の新聞合宿で苦しさに華を咲かせた。
4月の磁石祭で学園の活動にピリオドを打ち、
5月は大切な人との別れを経験して、
6月には興味があった仕事に挑戦した。
7月に初めて1週間を超える旅をして、子どもたちとの向き合い方に真剣に悩んだ。
8月には初めて青春18きっぷを使って旅をして、忘れられない瞬間を感じた。
9月はZENKAIを言い訳に傷つけ傷ついた。
10月、味人に行って確信を持った。
11月はその確信が現実に映し出されていった期間だったように思う。
そして12月。2024年の集大成にふさわしいほど、混沌とした、けれども力強くまっすぐな一月だった。

あまりにも色々ありすぎて拾いきれていない気しかしないのだが、
2024年は自分で選択して生きる感覚を知れた年であったと同時に、たくさんの人に存在を許してもらえた1年だったんだろうなと振り返って思う。

1月1日という日に、願いを夕焼けにかけて。

横須賀で怒涛のはじまり方をした2025年。最初っからこんなはじまり方をしてしまったのだから、今年はいったいどんな年になるのか楽しみだ。

お仕事のこと、お金のこと、近い人たちのこと。考えないといけないこと、やらないといけないことが生まれてしまう中で、自分の100%でどこまでやり切れるのか見てみたいと思っている。
これまで、人の100点はもう目指せないから、と妥協してしまったことが何度もあった。
でもそうじゃなくて、他人の評価がどうあろうと自分の100%でその瞬間と向き合いたい。

そして、今年は待ちに待っていた成人の年。
できることもやれることも増える中で、やってみたいことがたくさんある。
おてつたびとかリゾートバイトとかで全国を回ってみたいし、車の免許だって取って車で旅をしてみたい。
そして、去年よりもっといろんな場所にパートナーと一緒に旅をしたい。
そして、叶うかはわからないけど、海外へ行ってみたい。

今年も私のまま好きな音を辿って、誰の正解でもなく自分の100%で、自分の正解で、自分の理由で生きていくと誓いたい。


もし私以外にここまで読んでくださった方がいるなら、盛大な感謝と愛を伝えられたらと思います。
ただの長い散文、でもただの私を詰め込んだ文章を、ここまで読んでくださってありがとうございました。
今年どんなことがあるかは分かりませんが、きっと明るく希望に満ちた一年になると私は信じています。
どんなときも自分らしく、笑って泣いて転けて、これまでと変わらず生きていきたいです。
またどこかで会ったら、「おーい!」と気軽に声をかけてください!!

ということで、
今年もよろしくお願いしまーーーーす!!!!!

[Special thanks]
2024年に出逢ってくださったみなさん
一緒に何かを創り上げてくださったみなさん

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