甥っ子の甘え声を愛おしいと思えなかった僕の話。
僕は4人兄弟の末っ子なのだけれども、
姉には甥と姪がいる。
長期休暇には、姉の帰省と共に、
甥と姪が実家にやってくる。
年末年始のような長期休暇には、
「小さなひと」たちと時間を共有する。
今日は、その時間から考えたことのお話。
自分でも異常だと思うくらいに、
姪っ子を溺愛している自負がある。
(なんの自負かよくわからないけれども)
一方で、甥っ子は昨年生まれ、ようやく1歳を迎える。
要するに、彼と共有した時間はまだ少なく、
思い出もまだまだ少ない訳だ。
今回、年末年始の時間を共にしたのだけれども、
こんなことがあった。
甥が母(僕にとっての姉)を追っていく姿や、
食欲旺盛な(まだ話せないので声をあげたりする)姿を見て、
「だまって、食べなさい」
とか
「ピーピーいうな」
などの言葉を放っている自分がいた。
すごく違和感が残った。違和感の在処を探ってみると、
そうだ、姪っ子には一度もそんなことを言ったことはないじゃないか、
というヒントが見えてきた。
確かに、僕は一度も姪っ子にそんなことを言わなかったし、
むしろ、そういった姿は愛おしいとさえ思っていた。
ところがどっこい、
甥っ子に対してはそう思えない、
言えない自分がいる。
寝る前、隙間時間に考えみた。
そして、わかったことがあった。
そうだ、僕は男の「あるべき」論的なものを、
心の奥底に、しかも無意識に持ってしまっているんだ、と。
そう考えると、すべて合点した。
「男なんだから、黙ってたべなさい」
とか
「男なんだから、ピーピーいうな」
と、言いたかったわけだ。
正直、すごくへこんだ。
へこむ理由は簡単。
自分には、
そんな「あるべき」論的なものがあると思っていなかったから。
改めていうけれども、すごくへこんだ。
自分がそうなってしまった背景には、
自分がそう育てられてきたというものがあるけれども、
それははっきり言って要因であって、絶対的な理由にならない。
セクマイの友達も多く、
女性の社会進出も当たり前と考えていて、
いわゆる自分は「ニュートラル」で「フラット」
に極めて近い人間だと思っていたけれども、
そんなこと全くなかった。
自分のすごくいやな、
すごく良いと思っていたところが、
むしろ大きく欠如していたというか、
存在していなかったわけだ。
なるほど、だからか。
自分の普段の行動と考え方、
色々な点でそれにつながっていく。
すぐに考え方は変わるわけがないのだけれども、
それに気付けたこと、そして考えの変遷を記録しておく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?