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プロ3年目をJFLのクラブでプレーする理由

あけましておめでとうございます。
クリアソン新宿16番、竹内諒太郎です。
2025年の新シーズンに向かおうというこのタイミングで、今年もnoteを書かせていただきます。


私は、2023年、サガン鳥栖から育成型の期限付き移籍という形で、トップチーム昇格後すぐにJFL所属のクリアソン新宿に移籍をしました。

一昨年、昨年をクリアソンでプレーし、節目であるプロ3年目(2025年)をどこでプレーするのか。
昨年11月末に最終節を終え、私はその決断に迫られました。

そして、クリアソン新宿との
「期限付き移籍期間延長」を決めました。

このnoteでは、この決断をするにあたっての経緯、思いを綴らせていただこうと思います。



2024シーズン終了

2024シーズンのクリアソン新宿は、結果が出ない苦しい1年を過ごしました。
主導権を握り続けるサッカーを志向しJ3昇格を目指しましたが、勝ち星を思うようにとれず、前期は最下位での折り返し。
後期は、守備からカウンターでゴールを目指すサッカーに変えて、なんとか勝ち点を積み16チーム中14位フィニッシュ。
最終節までJFL残留が決まらないという本当に苦しいシーズンでした。

個人はというと、前期の出場は1試合のみ。(左ウイングバックでの途中出場。)
後期は、守備的になったチーム事情もあり、ポジションを掴み、13試合に、3バックの左でスタメン出場。
後期はフルで試合に出させていただきました。

一言でいうと、個人的には、すごく成長を感じられたシーズンでした。

これはチームの成績が振るわなかった事実はありながらも、声を大にして言わせていただきたいです。

まずは、試合に出られなかったところから出られるようになったこと。

そして怪我をすることなく、自信を持って、最後まで試合に出続けられたこと。

成長を感じながらも目に見える結果が出なかった昨シーズンと比べても、ユースのときに遡っても、この2点において、自分で自分の成長を本当に感じることができました。

幸か不幸か(絶対に幸ではない)最後まで残留争いをしていたことで、「魂の磨かれる」試合を経験することができたことも、いちプレイヤーとして良かったなと感じています。

特にラスト3試合(後期の国立、ミネベアとの逆天王山、J3昇格クラブ高知との残留をかけた最終節)は、プレッシャーのかかる試合でめちゃめちゃ魂磨かれました。

また、パーソナルトレーニングで身体づくりに1から取り組めたことも今シーズンのハイライトだなと思っています。
前期怪我をしてしまった6月くらいからパーソナルトレーニングを始め、怪我からの復帰後試合に出続けられたのは、フィジカル的な成長があったからこそだと思います。

実りあるシーズンを、この新宿の地で過ごさせていただきました。


鳥栖強化部との面談

JFL最終節を11月末に終え、来季どうするかを考えなければいけない、そういう時期になりました。

JFL閉幕から少し遅れてJリーグの全日程が終わり、鳥栖の強化部(クラブの人事的なポジションの方)と面談をさせていただきました。

「諒太郎に決定権がある前提で、こちらとしては1シーズン通して試合に出続ける経験をしてから、鳥栖に戻ってきてほしい。」

簡潔にまとめると、これを伝えられました。

まだ鳥栖に戻ってくるのは早いと言われたわけです。


自分の気持ち

この2年での成長の実感。後期で積み上げた自信。鳥栖のJ2降格。同期選手のJでの活躍。
色んな要素はありましたが、サッカー選手として、早く高いカテゴリーでプレーすることが自分にとって大事なのではないか。
カテゴリーを上げてチャレンジしたい。
試合が終わってすぐの頃、私はそういう気持ちでした。

そしてそれは、強化部の方からのお話を聞いた直後でもその思いはあまり変わりませんでした。

後期フル出場できたことで、試合に出なければ得られない成長、生み出されない価値があることを思い知らされました。

試合に出られるところでプレーして欲しいという言葉の意味も理解していたと思います。

それでも、後期試合に出続けられた環境、JFLにもう一年身を置くことに、鳥栖でチャレンジすること以上の価値があるとは、このときはまだ思えていませんでした。


話を聴く・改めて考える

強化部と面談をしてから、1週間で結論を出す。

クリアソン側に、選択を待ってもらっていた部分もあり、自分でそう決めていました。

何かを選択するとき、進路を決めるときなど、私は、自分の直感でビビッとくるものを選ぶようにしています。
(もちろん考えて考えて考え抜いた後での直感です。)

高校のクラブ選びで鳥栖ユースを選んだときも、クリアソンへのレンタル移籍を決めたときも、「これだ!!」という根拠のない自信的なものがありました。

でも今回は、三つの選択肢(①鳥栖に戻る②クリアソンに残る③他のクラブを探す)の中から、ビビッとくるものを見つけられずにいる、もやもやした感覚がありました。

そこで、私はこの1週間で色んな人から話を聞くことにしました。

チームのキャプテン、監督、代表、ユースの監督。
色んな人に話の場を設けていただき、壁打ちをさせてもらったり、意見をいただいたりしました。

その中で、とある方とお話をする機会をいただきました。(めちゃくちゃお世話になっている方です)

今年の振り返りや自分の気持ち、考えていることなどを話させてもらい、いろいろな意見やフィードバックをいただきました。

考える順番や範囲について、決断をする上での大事なことなどいろいろなことを学ばせてもらいました。

その中で、

「クリアソンのレベルを引き上げるチャレンジをしたのか?」
「目標を下方修正していないか?」

という、この二つの話をされました。


「より高いレベルでプレーしたいと言っているが、チームのレベルを上げるために、今年何かしたのか?」

答えはNOでした。

自分が試合に出ること、出続けることが最優先事項で、チームに対して何か働きかけたりすることは全くと言っていいほどできていませんでした。

「鳥栖から新宿に行くときの目標はなんだった?
試合に出続けられたのはポジティブだが、それだけで良かったのか?目標を下方修正してないか?」

本当にそのとおりでした。

冷静になれば、後期試合に出続けられたとはいえ、出場数で言っても2年間で全体の4分の1。

そして、チームは2年連続で目標未達。

私のクリアソンに来たときの目標は、チームを勝たせられる選手になりクリアソンをJ3に上げることでした。

それをいつしか忘れてしまっていました。

少し試合に出られるようになり、自信がついたのはいいものの、それだけで何かを達成した気になっていました。

この二つの話を受けて、私はハッとさせられました。


決断、そして来季へ

「チームを引き上げる。」
「J3にクリアソンを上げる。」

話を受けて、これにチャレンジする一年を想像したとき、すごくワクワクしたことを今でも覚えています。

このワクワク感が芽生えた瞬間、自分の中での答えが決まりました。

自分が新宿に来たときの当初の目標である、J3昇格を達成して、その上で鳥栖に戻るのが1番かっこいいだろうなと、直感的にそう思ってしまいました。

これが、クリアソン新宿で2025年もプレーすることを決めた理由です。

サッカー選手として、この選択をすることがほんとに良かったのかどうか、それはこの文章を書いている今もわかりません。

違う選択をしたほうが良かったのではないか、そう思われる方も多くいると思います。

クリアソンに残って結果が出ないこと、もっといえば試合にすら出られないことだってもちろんありえる話です。

ですが、私にできることは、正解を選ぶことではなく、選んだ選択を正解にすること。

一年後、この選択を正解にできるように、この一年全力で目の前のことに向き合いたいと思います。


最後に

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ここまで読んでくださっただけで充分過ぎますが、何かひとつでも感じることがあったりしたら、本当に嬉しい限りです。

この決断ができたことも、来季に向けて目標を立てられているこの現状も、ひとえに支えてくださっている方がいるからです。

本当にありがとうございます。

チームを勝たせられる選手になり、クリアソンをJ3に昇格させる。

2年前にたてた目標を、今年こそ達成できるように精一杯頑張ります!

そして与えてもらったものを返せる男になります!

2025年も、竹内諒太郎を、クリアソン新宿をよろしくお願いします!


クリアソン新宿#16  竹内諒太郎





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