【き・ごと・はな・ごと(第15回)】フランス紀行―曼陀羅花木録(1)
初夏のフランスは午後9時でも真昼のようだ。10時近くになってようやく太陽が沈む。 その為に、明るいうちは目一杯歩きまわり、日付が変わってからでないと寝所に入らないクセが付いてしまった。時差ボケとオーバーワークのツケで、いまだ体内時計が狂ったままだ。
旅はパリから始まった。
訪れた初日、驚きを込めてこの目を捕らえたのは、マロニエの花だ。空港で拾ったタクシーが走りだしてほどなく、道路の両側に延々と連なる並木に、まるで聖火ランナーの掲げるトーチのような姿をした円錐形の花が飾られているのに気が付いた。それは、単に咲く、という形容では当たらない堂々たる自己主張を込めて、巨木を彩っていた。色は薄いベージュ。たまに赤色もある。映画で、小説で、はたまた詩で、マロニエはフランス、とりわけパリの形容に欠かせないものであった筈だが・・・たぶん意識下でなじんでいたその名を、思い出すのに随分時間を要した。花の盛りに出会えるとは、思いも拠らなかったからだ。この日は5月の10日で「たいてい5月の連休の頃には散ってしまっている」そうであるから、とてもラッキーだった。
マロニエは幹も太く、高さも10㍍を越すものもマレではない。威風堂々とした樹木である。今ではヨーロッパ全土、特にパリの街路樹として名高いが、そもそもはルイ14世が、王権を誇示するに相応しいものと認め、城内や通りに大量に植えさせたことが発端だとも聞く。貴族たちもそれに倣い、競って自分たちの領土に植えたのだそうだ。
パリは椅子とテーブルを通りに迫り出したカフェがやたらに多い。朝早くから深夜まで、年中、大勢の人がカップ一杯のコーヒーで道行く人を眺めるようにして座っている。観光客なのだろうか。それにしても実にくつろぐことが巧みだ。新緑の葉末を広げたマロニエの街路樹は、そんなカフェテラスに涼しげな樹陰を落とし、時の流れをさらにゆるやかに演出してくれる。その情景はやはりパリ以外の何物でもない。かって王の威力を代弁したマロニエは、今は人生を謳歌する伴侶として庶民と共にある。
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旅行中の食事を、ずいぶん自炊で賄った。行く先々にマルシェと呼ぶ市場があり、新鮮な野菜や果物、その他の食材を滅法安く仕入れることができるのが嬉しい。それも、レモン一個にトマト一個という具合に欲しいだけ選べるのが何よりだ。日本では缶詰くらいでしかお目にかかれないホワイトアスパラを茹でて食べてみたが、旬の香りがして旨かった。「どんなに貧しくても食べるものにこと欠かないでいいように」という国の政策で、庶民の口に入る日常の食物はとても安価なのであるという。羨ましいことだが、それも食糧自給率(150パーセント)に恵まれているこの国故のことだろう。
リヨン、ブルターニュのカルナック、ニースとあちこち駆け巡ったが、その度にTGVと呼ぶ超高速列車のお世話になった。その車窓に写る田園風景を見れば、こと農業、酪農に関してのこの国の実情がたちどころに理解できるというものだ。行けども行けども麦畑の緑と菜の花畑が続く。時折り尖り帽子の教会を囲む小さな集落が見える。こんもり茂る樹の下で草を食む牛と羊の群れ。・・・景色は完璧だが、列車は完璧というワケにはいかない。一度は数匹の斑牛が見えるだけの緑の中で一時間半の立ち往生、その帰りは予約した列車が代替えの用意もなく消えうせ、おまけに他日は23両目に予約指定してある筈の列車が、たったの6両編成で登場。従って座席のある筈もない。そんな時、いつもは自己主張の権化のようなフランス人が「事故なく無事に着きさえすれば」と事態を黙って受け入れているのが意外だった。流れ行く景色の中に、時折背の高い樹の幹に鳥の巣のような丸いボンボリを付けたものが行き過ぎる。ヤドリギだ。カルナックへ向かう途中のカンペール行き路線でことの他頻繁にそれは出没した。ブルターニュ地方の海辺の町カルナックは紀元前5000年頃ともいわれる太古の謎を秘めた巨石群がつとに知られている。ブルターニュはケルト文化の名残が色濃い土地柄であり、魔女とか妖精、呪い、迷信などの原始的、神秘的な伝説が数多い。ヤドリギは古代ケルト民族の土着の多神教ドルイド教において神聖視されていた。根を持たず空中に存在すること、宿主が葉を落としても常緑を保ち続けるなど、その類い稀な特性が再生や豊饒のシンボルとして称えられのだ。また、厄災を防ぐ象徴として見なされ神事に使われた他、新年に採取したその枝を魔よけとして家々に持ち帰り、戸口に挿したり、家に吊るすなどしたそうだ。節分にヒイラギを軒に挿すなどの、わが国の風習にどこか似ているではないか。
ところで「ここの巨石たちには病気を直すほどのパワーを持つ」と聞いたのだが。実際、巨石の前で蹴つまずいて足を挫いた筆者は何だろう?!これも石の魔力のせいだろうか?
(次回は、さらにTGVに乗り南仏へ旅します)
文・写真:菅野節子
出典:日本女性新聞―平成10年(1998年)6月15日(月曜日)号
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