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雁風呂

雁風呂がんぶろという風変わりな春の季語がある。

「青森県外ケ浜には、春に雁が帰ったあと、海岸の木片を拾い風呂をたてて雁の供養をするという伝説があった。雁は、秋に渡ってくる時海上で羽を休めるための木片をくわえてきて、春にその木片を拾って帰る。残された木片は帰れずに死んだ雁の数ということになり、その雁を供養するために村人は風呂を焚くと信じられていた。」
『俳句歳時記 第五版 春』(角川ソフィア文庫)

遥かロシアにある雁たちの繁殖地、ペクルニイ湖は九月にもなればもう雪降る季節。
岸辺に集う雁の群れは気もそぞろ。各自手ごろな木片を用意して、それを小口にくわえると、いよいよ越冬の地日本へと旅立ちます。
途中カムチャッカ半島を経過すれば、そこから先は見渡すかぎり海また海。
「ちょいと疲れたね、ここらで一休みするかい?」「そうだね、そいじゃ」
と言って木片を海上に落とすと、雁たちはその上に乗ってぷかりぷかりと揺られながら、なつかしい日本の思い出話に興じているようです。
ペクルニイ湖からはるばる4000kmの旅路を終えて、ようやく青森の海岸にたどり着いた雁一行。「やあやあ、お疲れお疲れ」と互いに言い交わしながら、木片を浜辺に放り投げれば、ばらばらと解散してそれぞれの冬休みに入ります。

やがて長い津軽の冬も終わりを告げ、ふたたび海岸に集まった雁の群れ。
「はてさて、わたしの木片は……と、おお、あったあった、確かにこれだ。」
春先の岸辺は木片を拾う雁たちの声で賑やかです。
そしてある晴れ渡った三月の空。編隊を組んだ一行は、後ろにリンゴ畑を惜しみつつ、遥かカムチャッカへと飛び去っていきました。

寂しくなった浜辺に残されたのは幾本かの木片。それはこの地ではかなくなった命の数。
漁村の人はその木片を見て憐れに思い、一つまた一つと拾っては、火にべ風呂を沸かして供養とします。
木片を焚べる雪国の人の手には深いしわが刻まれています。湯けむりが湯舟から立ち昇ります。熱い湯につかって念仏を唱える老婆の顔は、もうすっかりのぼせてしまいました。

こうして津軽の春は、今年も少しずつ進んでゆくのでした。

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