KIGO
季語をテーマにした投稿まとめ。 365日が目標。
自己紹介。自分について書いたことをまとめました。
平和の祭典が幕を閉じた。 秋風の涼しさは、 一抹の惜別のようで。 それでも沢山の花が咲いたね。 広がる花野は多様性そのもので、 調和のとれた不協和音。 轍を抜ける風に混じって、 鈴の音が聞こえる。 夕花野(ゆうはなの)
不知火(しらぬい)って知ってる? てっきり山の名前なんだと思ってた。彼女はそう言って笑った。どうしてと訊ねると、果物の不知火には火山みたいな出っ張りがあるでしょう、と自身ありげに説明される。 九州の地名でもある不知火。正しくは、八代海や有明海に、夜半点々と見られる怪火を指すのだ。山どころか、寧ろ海である。かつて天皇が、船上でその火影の主を訪ねたが、誰も分からなかったから、知らぬ火、だとか。 知ってた?知らない? 不知火(しらぬい)
山羊と狼は結婚できると思う? ベッドの上、僕の肩口に顔を埋める相手に小さく尋ねる。 暗闇に睫毛の動く気配がする。 先刻あまりに間近で見つめるものだから、瞳の中に自分が映る距離とはこんなに近いのだと驚いた。向こう側にも、僕が居たのだろうか。こういう時、漆黒の目を持つ僕らは都合がいいらしい。 返事は無い。 天井の換気扇が強風を受けて、がたがたと鳴っていた。 その日、僕らは初めて一夜を共にした。 初嵐(はつあらし)
雨を聞く。 今日も今日とて、 死んだように生きている。 いっそ稲妻を嫁にして、 AEDで起こしてもらおうか。 長い夜に、豆電球と稲光。 稲妻(いなづま)
この一週間は、四、五年ぶりに、変化の波に巻き込まれている。蔦が這うように縁が繋がって、制御のできない紋様を描いていた。これが吉凶のどちらを意味するのかは分からない。 あるいは、意味などないのかもしれない。何十億人のこの世界で、偶然の引力で惹かれあった私たちは、深緑の世界のアダムとイブになり得るのだろうか。 万緑(ばんりょく)
友達と三時間も電話してしまった。 懐かしい、贅沢な時間の使い方。 久しぶりの会話に花が咲く。 おかげでもう日付が変わりそうである。 虞美人草は、ひなげしのことらしいよ。 いつも楽しく拝見させていただいている、かなつんさま。 ちょうど今日は虞美人草の日!素敵な記事と俳句でした。 虞美人草(ぐびじんそう)
ははは、お久しぶりです。みなさん元気にしてました? 突然、投稿止めるもんだから、もう忘れられたかな。なんて、どっちかというと、私の方が書き方を忘れたよね、笑 久しぶりに、ちゃんとタイムライン覗いたら、相変わらずみなさんの投稿が面白くて、めちゃくちゃ新鮮。みんな、すごい。 ざっくり何してたかというと、まあ漫画読んで、結構アニメ見てた。あとは人と会ったり、ふらふら遊んだり、何もしないをしてた。あ、でも日中はちゃんと仕事してた。えらい。ずっとGWのだるだるを引きずってた。でもやっ
「秋」という言葉には、実りのときという意味がある。新緑の中、麦たちは、たわわに実った黄金の穂を揺らす。そう、麦の秋は、夏の季語なのだ。 金色の野に風が駆ける。 真っ青な空色のシャツを着て。 隣の小さな手を握る。 麦の秋(むぎのあき)
真っ白い小花をたくさんつける卯木(うつぎ)の花。卯月と言えば陰暦の四月の異名だが、卯木、別名卯の花が咲くのは、陽暦では五月頃となる。 春から夏の変わり目は、天候が不安定で強い雨風が吹く。そんな折、海や川が波立つその白さを、卯の花になぞらえた季語が「卯波」である。 もう一つ、卯の花と天候が結びついた季語、卯の花を散らして降る雨のことは「卯花腐し(うのはなくたし)」というそうだ。 長雨の続く今日この頃。じっとりと腐らぬよう。 卯波(うなみ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c481388dd3f491a645b11e31c9d62fdf1b70fa10 『小・中学生の女子はなぜ「うち」という一人称を使うのか?』 なーんて、この記事とか、まあ、あと別のきっかけもあるんですが、じっとそんなことを考えてみた。
奈良へは、中学の修学旅行で初めて行った。鹿をじっくりと間近で見たのもこの時が初めてだったように思う。先の丸い鹿の角は、一年かけて伸びたものが春に落ち、生え変わった後なのだと引率の先生が教えてくれた。持っていったインスタントカメラを後日現像すると、ほとんどは見事にピンぼけしており、その中でも鹿を映した写真が沢山残っていた。 旅館の慣れない枕と浅い夜、その日、私は夢を見た。 運動部に所属していた私は、女子の中でもかなりの短髪だった。セーラー服にくるぶしソックスでという出で立ちで
植物が這っている建物が好きだ。 最近は人口緑化を取り入れた施設やビル群も見かけるが、自然な生命活動には、より心惹かれる。東京でも、少し住宅地へ入り込めば、怪しいくらい緑を纏った民家と出逢えたりもする。そして、その写真を撮っている人物がいるとすれば、私はその一人である。 細い手足が、器用に凹凸を捕まえている。よくよく観察すれば植物とは、毛が生えていたり、湿度があったり、大変に有機的なのだ。度を越した侵食は、互いにとって良くないことではあるのだけれど。 知ってる? この世はI
風薫る朝。 自転車脇のブロック塀には、小さな虹が映っていた。薄いシャカシャカのパーカーを羽織って漕ぎ出す。風を受けて、帆がばたばたと膨らんだ。 雑草の生い茂る路地を通り抜けて、 さっき飲んだ珈琲交じりの吐く息さえも、 ぼくは、 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです。 薫風(くんぷう)
ずっと、山に緑に点在する紫の花は、藤なのだと思っていた。 しかしこれは、桐の花らしい。嫁入り道具で知られる桐箪笥の桐。なかなか間近で花を見たことがなくて、今回、桐の花の写真を調べてもピンとこなかったのだけれど。いつも気になっていた、藤にしては直立する大振りな幹や、垂れ下がるのでなく立ち上がるような花の様子の違和感に、なるほど、桐もこのような見事な紫の花をつけるのだと、誰も教えてくれなかったことをまた一つ知ることが出来たのだと、こっそり嬉しく思う。これも、日々、季語を学んでいる
KIGOです。 最近、Twitterでこの曲を見つけてこればっかり聞いてる。 あの夏は…。 なんでかな、やっぱこういう恋の歌にいいなって思うのは、私がそういう風にできているだけなんだろうか。 実は昨日を取りこぼしていたり。 試行錯誤の毎日です。「思考索語」…なんて、徒歩通勤中に考えていたら、検索してみるといるもんですね、先駆者が。笑 アウトプットのエネルギーが溜まるまで、徒然と過ごしていこうかなと思っている。今年書けてない分は、来年書けばいっか、くらいで。 ただ基本
薪能(たきぎのう)の起源は、奈良興福寺の神事能と言われ、夕暮れから夜間に、野外で篝火を焚いて催されることから来ている。 能は、歌舞を中心に発達した古典芸能「猿楽の能」の略で、面をつけ、謡や囃子に合わせて演じられる。室町時代、世阿弥によって大成された。 世阿弥「風姿花伝」による名言、 秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。 秘する花を知ること。 俳句で花と言えば桜と以前言ったが、さて、ここでの「花」とは。 笛吹けば闇の寄りくる薪能 石原八束 薪能(たきぎのう)