シニアは見かけに騙される。
日頃、ミーティングで、
こうでなければいけない、、
ああでなければならない、、と最もなことを
延々と発言されている社長に
3人目となる子供が産まれた。
当然のごとく、スタッフ一同より、お祝いを
送ることになった。
もちろん、パートの私も社員と同じ額の
1000円徴収された。
(こんな時だけ、社員と同じかい)
この場合、
社長から内祝いとして
子供の名前にふりがなをつけた熨斗とともに
300円から500円相当の物を、
スタッフ一人ひとりに
渡すのが普通だと思ってたが、、、、
ちっちゃな安い饅頭が一つだけだった。
しかも、不味かった。
ケチ。
半返しではないのか。
三分の一返しではないのか。
ぺーぺーの社員なら、ともかくとして
彼は列記とした株式会社社長である。
同額返しでもいいくらいだ。
しかも、この社長にして、この社員あり。
お祝いとして贈った品は、食器セットだった。
3人目の子供に必要ないだろ(笑)
その数ヶ月後、
取締役のひとりである男性にも
2人目の子供が産まれた。
今回は祝い金の徴収はなかったが
彼には、
会社から出産祝い金が支払われたそうだ。
それは、至極当然であるが、、、。
彼はスタッフ共有メールで、
「この度は、会社からたくさんの
お祝い金をいただきました。
僕には何の関係もないことですが、有難く頂戴します。ありがとうございます」
と書いてあった。
えっ?変じゃない?この文面。
「僕には何の関係もない」、、、って(笑)
関係あるから出産祝い金が支払われたのでしょ。
めっちゃ、色々と関係あるじゃん、あなた!
ふたりとも、
高学歴と若さを武器に、
ビシッとビジネススーツで身を固めて
見かけは、大変まともだけれど
いったい何を考えているのやら、、、。
というか、私の考えが古く、
この令和の今は、このふたりの行動言動が
普通なのか、、、。
謎。
先生、召し上がります?
と言って、ちょっと高級な和菓子を差し出した。
「うん、うん、、」と笑顔になられた。
先生は、いつも不機嫌である。
噂では、とても怖い人として有名であった。
みんなが恐れをなしていて、
関わり合いになることを極力避けていた。
だが、
先生の研究室と同じフロアで仕事を
しているのでよくすれ違うのである。
そんな彼と
実験室の中にある流しの水漏れ事件から
話をするようになった。
水漏れ事件とは、
流しの排水溝が詰まり、水が溢れて実験室の床が
ベタベタになったことだ。
「誰がやったんだっ?」
さあ、、、、、
「あいつだろ、××××だろ」
ですね。きっとそうだと思います。
あいつです、、、、犯人は。
と言うと、
先生は、笑い出した。
暖かい笑顔であった。見かけと違う。
その後、出会う度に話をするようになった。
先生はいつも怒っている。
世間を賑わしてる事件のことや
大学の様々なこと、
自分の周りのスタッフのこと、、などなど。
先生の仰る通りです、、、と相槌を打つと、
笑顔になられる。
聞いているのも、その空間も楽しかった。
でも、彼は私のことを認識しているのか
していないのかは、謎である。
「通りすがりのおばあさん」かも知れない。
それは、どうでも良い。
先生、
今度は「虎屋」の羊羹をお持ちしますね、、、。
と言うと、彼は黙って笑顔であったが、
その約束を果たせないままである。
何故かと言うと、
私がコロナ罹患してしまい、長期の休みの間に
先生は定年退職されたと聞いた。
ちなみに、彼は、とても偉い教授である。
文句ばかり仰っているが、
暖かい笑顔の先生に、
約束の「羊羹」を差し上げたいのである。
そして、私は退職した。
コロナ罹患による後遺症が長引いて、
辞めざるを得なくなったのである。
倦怠感、咳、耳鳴り、不眠、、と
コロナを絵に描いて額に入れたかのような
症状であった。
夫は、
「辞める理由がはっきりしてるからさ、
これで、引き継ぎもしなくていいし、
すぐに辞めてこれる。良かった」と言ったが、
そもそも、
夫が家に連れて来たコロナ野郎である。
見た目、体調が悪そうでなかったので
すっかり騙されていた。
夫発熱の4日後、
私はコロナばあさんになってしまったのである。
こんな理由で人生最後の仕事を辞めるとは
思いもよらなかった。
なーんーでーーやーねーん。
70歳になったばかりの秋であった。
ゲホ、ゲホ、ゲッ、、、。