奇跡体験!アンビリバボー2022年5月26日
どれぐらいの方が見てくださったのでしょうか。
驚くべきことに、奇跡体験!アンビリバボーで私の活動を紹介していただきました。
というか、めっちゃ尺を使っていただいた感じで、びっくりです。。。そして、放送終了後から、多くの方からメッセージ、twitterもいっぱい通知が来ています。うれしいです。
私は和歌山の地で、大学教員をしている、木川剛志です。「木川」という名字は私の親戚の中でもすでに少数派で、京都、名古屋にいる木川だけが親戚です。そして自分の親戚以外にはこの名字の方に出会うことは、私の人生の中でもほとんどありませんでした。
そんな私の元に、SNSで「木川」という名字をもっていた、アメリカに養子縁組でわたった女性から連絡がくるなんて。それこそ、奇跡のような話でした。
2018年8月、Facebookでアメリカに住むシャーナから「木川信子を知りませんか?」と連絡がきました。シャーナの母親のバーバラは、実は日本名を持っていました。
「木川洋子」
彼女は、1947年、戦後まもない横須賀に、外国人の父親と日本人の母親の間に生まれました。
当時の時代は、差別のある時代でした。敵国の子供を生んだ女性。生まれた子。結果として、彼女は養子縁組として1953年にアメリカにわたることになりました。それからの66年間。彼女は実母に会うことはありませんでした。連絡もしていません。そしてあれほど愛した母も顔を忘れてしまっていました。
この物語は実は映画にまとめています。予告編もあります。
私は、福井、和歌山という地で教員をしてきました。そのため、空襲は私の研究の一つです。空襲に伴う、都市の破壊、悲しみ、そして孤児になった子供達。戦災孤児のことを調べていました。
その時に届いたメッセージだったのです。そして、当時、私は5歳の子の父親でもありました。
ドキュメンタリー映画「Yokosuka 1953」は今、劇場公開に向けてがんばっているところです。ぜひに多くの人に見てほしいと思います。
映画については、公式ホームページがあります。
そして、この映画のナレーションをつとめていただいたのが、津田寛治さん。そして、テーマ曲をご提供いただいたのはキャラバンキョウコさんです。どちらも福井の人です。
偶然から始まった物語でしたが、いつしか、必然の出会いだらけでした。
多くの方に見ていただいたこと嬉しく思います。ありがとうございます!