久しぶりに

なんだか酔っ払ったので久しぶりに書いてみようと思います。

書く前に、久しぶりに過去の自分の記事を読んでみました。。。なんか、結構ちゃんと書けてません?笑

今日のお題を考えた時に、候補は以下・・・
①仕事のこと
②息子のこと
③SFの何かしら

そうなると、①②はなんかありきたりなことしか書けなさそうでつまんないなあと思って、③をテーマにしようかなと思います。

前置きはこの辺で、、2秒で出てきたタイトルでいきます。

友達ってSF

最近思ってるとかではなくて、今たまたま「友達ってフィクションなんじゃね?」って思ったのでお話しします。
※病んでるとかそうういうのではないので、最後まで読んでもらえれば
※先に訂正しますが、SFのSはあんまり重視していません

小中の頃は確かに、友達って欠かせないものでしたし、毎日の生活を彩るものでした。(高校、大学もそうでした)

でも少なからず、「学生時代の友達」と「社会人の友達」はイコールではないと思います。(特にnoteを見ている人なんかは極端にそういう人が多いんじゃ..)
さらに結婚すると、もっと価値観が変わったりします。

特にややこしいのが「友達」と「知り合い」。社会人になると「知り合い」との飲み会が極端に増えるわけで、飲み会の頻度が多いと、「今日は友達と飲みにいく」と言うと「あんたそんなに友達いないでしょ」となるわけで、「知り合いと飲みにいく」と言うとなんか怪しまれるわけで・・。

そしてこの時思うのが、友達も知り合いも言っている当人からしたそんなに違いがないわけで、別に「友達も」「知り合い」も一緒でしょって。なんなら時間の軸だけでいえば、知り合いの方が過ごす時間は長いんですよ。

これって歳とともに「友達」という概念が少しずつ希薄してきてきません?
というか「友達」の概念変わってきてますよね??
(友達になるハードルも違いますよね。昔は「同じところ」で生まれただけで友達。大人になると少なくとも「価値観」が似ていないと友達になれない。みたいな。)

そして今日思ったのが、現実が希薄していくと、人間の記憶から遠のいた末にロマン化するのかなと。ロマン化の果てがフィクションなのでは。つまり友達というのは年齢ともに、フィクションと化していっているのかなと。

多分これだけだと伝わらないと思うので、例えばで言うと、
友達からの言葉ってフィクション映画から得られるようなインパクトがあって、よく飲みにいく知り合いからの言葉はノンフィクション映画から得られるような現実味があるような気がしています。
単純に過去の自分しか知らない人からの言葉はリアルに欠ける気がしていて、「今」の自分を一番知っている人からの言葉の方がリアリティが感じられるというだけの話です。(今もよく飲みにいくような昔の友達はまた別です)

一見逆なような気もしますが、今の僕はそんな気がしています。友達の言葉だから安心して従うようなことは考え直した方が良いという、なんともシンプルなまとめでした。

そしてなんとなく思い出したので、(というか思い出さずにはいられない!)攻殻機動隊の少佐を言葉を載せておきます。映画という非現実にのめり込み、現実世界に戻って来られなくなる話での一幕

映画監督「ここの観客の中には現実に戻った途端に不幸が待ち受けている奴もいる。そういう連中の夢を取り上げて、あんたは責任を負えるのかね」
少佐「負えないわ。でも夢は現実の中で戦ってこそ意味がある、他人の夢に自分を投影しているだけでは死んだも同然だ」
映画監督「リアリストだな」
少佐「現実逃避をロマンチストと呼ぶならね」

まあどっちがどうとかじゃなくて、フィクションもノンフィクションも一度に楽しめるのが良き人生なんじゃないかなと。

そう思う32歳でした。





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