最上もがさんのブログで妊婦時代の記憶が蘇った話
こんにちは。
金髪ショートに憧れながらも、一度もチャレンジしたことのない木賀ちお🐧です。死ぬまでに一度はやってみたいことの一つです。
最上もがさん、私的に金髪ショートが日本一似合う女性です。
何年か前、CSテレ朝チャンネルで繰り返し流れていた【でんぱの神神】のCMに映るビキニ姿に、なんつースタイルのええキレイな女の子がいるもんじゃろう!と驚いたのが、もがさんを知ったきっかけでした。
以来SNSをフォローし、投稿には絶対にイイねをつけるけれど、ファンクラブには入っていない無課金勢です。
そんなライトなファンではありますが、一人の人間としての正直な言葉が沢山詰まっているもがさんのブログやインスタを見て、応援せずにはいられません。
いつも考えさせられることの多い内容ですが、先日もがさんがブログに書かれていた現在の心境を読んで、自分の妊婦時代の思い出がブワ~っと蘇りました。
ブログには、無事生まれてくるまで怖くて、準備が出来ない。ベビー服も見れない。という感じの内容があったのですが、14年前の妊婦時代、私も全く同じだったのです。
最初の妊娠が残念ながら流産となってしまったこともあり、娘を授かった2度目の妊娠がわかった時から生まれるまで、毎日不安しかありませんでした。
「もう性別わかった?」
「男の子女の子どっちが欲しい?」
「いつ生まれるの?」
「今何ヵ月?」
「お腹触っても良い?」
多分出産経験がある人で、これらの言葉を言われなかった人はいないんじゃないかと思いますが、本当に行く先々で何回も聞かれるので、正直またそれかよ。と思っていたりしました。
そして聞かれる度に、性別なんて本当にどっちでも良いと思っていたし、「五体満足ならそれでいい」という言葉でさえも、私にとっては重かったのを覚えています。
どんな子であっても、もし元気じゃなかったとしても、ただ生きて生まれてきてくれたらそれだけでいい。と思っていました。
幸いつわりが全くない体質だったので、出産予定日の2週間前も、どうしても外せない仕事で出張していたのですが、今思えば仕事が忙しかったおかげで、気が紛れていたのでその点ではギリギリまで働くのは私にとっては良い選択だったと思います。
普段から、あまり感情のアップダウンがなく、安定して低空飛行なタイプ(はしゃぐことがないという意味で)なのですが、妊娠後期には、わけもなく感情が爆発して夫を驚かせることが度々ありました。
ある時、妹と母に産後の手伝いを頼めるように、家の合鍵を作ったのですが、鍵のお店の人が作製をミスって、せっかく作った鍵が全く使えなかったという事件がありました。
そんなものは作り直しに行けば済む話なのですが、家から少し遠いお店だったのです。
そこへ行くためには渋滞や非常に混み合う駐車場など、いくつも乗り越えるべきハードルがありました。
うんざりしながら、なぜこちらに落ち度がないのにわざわざ出向かなくてはならないのかという気持ちで、お店に電話で連絡を入れると、話している途中で、怒りを通り越して深い悲しみに襲われ、突然涙が溢れて止まらなくなりました。
そこへ帰宅した夫はビックリ仰天です。
私の体に何かあったのかと思って、ものすごく心配するのですが、私が「鍵が合わない!」と言って泣くもので、意味がわからずオロオロするばかりです。
泣いている私でさえも、なんで自分がこんなことでこの世の終わりのような気持ちで泣いているのかわからないのですから当然です。
つわりもなく、体調もメンタルも健康、仕事もギリギリまで出来てお金の心配もなく、しかも近所に頼れる身内も住んでいてバックアップ体制も万全。
と、当時これほど恵まれた環境にあった私でさえも、ホルモンバランスの変化の影響を強烈に受けて、こんなにも取り乱すのですから、つわりがひどかったり、周りの助けが少なかったり、体調が悪くて動けなかったりする妊婦さんであれば、どれほどしんどい想いをしていることか。
人間は一人一人違うので、こんな言葉をかけたらいいよ。とは言えません。
どんな励ましやねぎらいお祝いの気持ちを表す言葉でさえも、地雷になることがあるのですから。
心ない言葉を投げつけるなんていうのは言語道断ですが、求められてもいないアドバイスがありがた迷惑である可能性や、突然自分の体に触られることへの恐怖心などへの想像力は働かせたいものですね。
もがさんの無事のご出産をお祈りしつつ、今日はこの辺で。
ではまた明日。