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自己紹介: 現在地、道しるべとして

初めまして。京都で大学院生をしております、きふと申します。この度、noteを書き始めてみることにいたしました。大学では有機化学を中心に勉強していましたが、大学院ではもう少し視野を広げて分野横断的な分野、とりわけ小さな視点から生物と化学の境界のところを学びたいと思っております。

京都で大学院生をしていますと書きましたが、現在は1年間休学してイタリア・ボローニャにて留学をしております。イタリアというところは非常に穏やかな街でして、この国の空気に身を委ねている時には、京都にいた時でさえも感じなかったような情感がふつふつと湧き出てくるのです。そうしたものは普段はふわふわとすぐにどこかへ消えてしまったりするのですけどね、こちらに来てから4ヶ月、このなんとも掴みどころのない気持ちをなんとか掴んで、ことばにして記録したいと思うようになってきました。こういうわけで、週末には腰を下ろして文章を書いてみよう、こう思ったわけです。

小学生の頃からでしょうか。私は文章を書くのが好きでした。しかし、ある時から他のだれかに読んでもらうとことを恥じるようになってしまったように思います。それはおそらく、「大人から見たら稚拙な文章だ」という幼さの自覚と、感情を素直に露わにするのは恥ずかしいものだという周りの雰囲気から、だんだんと外からの目が怖くなってなったのでしょう。しかし、iPhoneのメモや、非公開のSNSに溜まったたくさんの文章のかけら。こういったものが歳をとるごとにたくさん溜まるようになってきました。
少し前までは、昔書いた文章なんて恥ずかしくて次見た時には消してしまうようなふうだったのですが、イタリアで暮らし始めるようになってからは、ひとり行き場のない文章を書く回数が一段と増えて、日々の暮らしの様々なところに溢れるようになってきたのです。その上、最近になって少しだけ自分の文章を肯定できるようになってきました。まだ恥ずかしさというものはもちろんあるのですが、今ここで身なりを整えて、行き場のないことばたちを少しばかり世の中に発信してみようと思うにいたりました。

私がこのnoteを書く理由は二つあります。一つは今ここに感じていることや不安を丸ごと共有したいという気持ちからです。
将来の悩みは尽きません。誰かのアドバイスが欲しい、そう思うこともたくさんあります。そうしたものを全部ことばにのせて、純な気持ちで書き表してみたいと、こう思うのです。しかしこれは、手紙を小瓶に詰めて夜の大海に流すようなものです。誰かに見つけてほしいな、どこかの誰かがこの文章を読んで、何か小さな相互作用が生まれるといいなという、希望的観測と言いましょうか、蝶の羽ばたき一つのようなものです。

それともう一つは、私の経験を私よりも若い世代の皆さんにお伝えしたいという気持ちからです。
私はもう24年生きてきましたから、酸いも甘いも少しは経験してきたつもりです。中高校生の皆さんや、もしかしたら大学生の皆さんにも有益な情報の少しばかりをお伝えできるかもしれません。特に京都での学生生活、大学での学びは本当に良いものです。京都での学生生活に憧れを持たれている中高生の皆さんに向けて、あるいは大学生の皆さんの前にたくさん開かれた選択のひとつ、進路のひとつとして、私の経験をお伝えできたらといいな思います。知の還元といったら烏滸がましいかもしれませんが、私がたくさんの方々からご教示いただいたあれこれを、次の世代の方たちにもお伝えしたいという気持ちが胸の中に満ちております。インターネットの様々な文脈はいったんは傍に置いておいてですね、私なりに京都と学びの魅力をお伝えできればと思います。

京都について。イタリアについて。何か一つでも誰かのこころに留まるようなことばが書けたら幸いです。

紀風拝

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