非凡への憧れと。

こんにちは。ただいま酒を飲み自らのこれまでの人生とこれからの人生を俯瞰して視界が淡く霞んでいるモノです。本投稿を読み、共感してくれる皆さまと何ら変わらぬ人間の形をしたナニカです。
就職活動を行なっているうちにどんどん色々なことがわからなくなってきました。
そんな駄文散文です。



さて、僕は?

僕は音楽が好きです。
綿密に作り込まれた演奏、楽曲構成のアプローチ、なにより心曝される歌詞に魅力を感じています。
「私が潜在的に、意識的に思っていることと同じことをこの人は歌っている!」
と思い、私のこの思いは孤独じゃないんだ、一人じゃないんだと分かり安心します。
ただ、ひと熱冷めると思ってしまいます。

『これは僕じゃない誰かの言葉なんだ』

その度に激しい劣等感と虚しさに襲われます。その想いに駆られた瞬間、ヒトとボクは切り離された世界線に存在し、同じ空気さえ吸っていないんじゃないかと感じてしまうことがあるのです。
「この人は僕じゃない、僕はこの人じゃない」
嫌が応にもこの事実を認識してしまい、僕自身の有様と歌い手の有様にギャップを感じてしまいます。

彼らは非凡です。秀才です。
もしくは凡を非凡に変えられた物事に抗える精神性と弛まぬ努力ができる方々です。
じゃあ僕は、僕と似たように感じている皆様はどうですか。
スーツと履歴書を今ここで捨てられますか。

非凡への憧れと凡にもなれない僕

改めてタイトルに戻して加筆します。
テレビのスーパースターや成功者は語ります。インタビュー、歌詞を通してこれまでの苦労と下積みを語り、成功への道筋を説くのです。
正直憧れます。一縷の希望が見えます。
ただその度に「今の僕はその立場にあるのだろうか、その素質はあるのだろうか」と思ってしまいます。
他者と自己を見比べ、一憂しては諦観する。
今日は頑張ろうと決めた日でさえも1日を怠惰に過ごして日が沈み自己嫌悪に陥る。
その繰り返しをしている僕は社会へと馴染み、社会を循環させる立派でかっこいい凡にさえ
なれないのではとどうしても感じてしまうのです。
社会不適合者の烙印をそのままに背中へと押されてしまう気がしてならないんです。

非凡への憧れと凡にもなれない僕。
非凡への憧れと凡にもなれない貴方。
最後まで読んでくれてありがとうございます、なんて文末に書く煩わしさが大事なの。

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