ねえ、かくれんぼみたいにさ、私の全部を見つけてよ
かくれんぼのようだと思った。子供の頃に飽きるほどやった、楽しいかくれんぼ。そっと私を見つけてくれたようだった。今となっては何が楽しかったのかすら思い出せない。
かくれんぼの、
「み〜つけた」
「見つかっちゃった、ずっと待ってたよ〜」
って他愛のないやり取りに似てる。
かくれんぼじゃ、全部見つけるのが当たり前だけど、 「ねえ、私の全部を見つけてよ。」
なんて誰に言ってるのか分かんなくて、漠然としてて、他力本願でダサいことをずっと思っていた私にとって、救いのようなアルバムだった。肯定でも否定でもない、でも私が1番求めてたものだった。ただ、かくれんぼみたいに私を、私の気持ちを、私の全部を見つけて欲しかった。
クリープハイプの曲は、私にとっていつも、
どこに隠れても、1つ残らず全部まるごと見つけてくれるような存在なんだと思う。
いつからだろうか、世間体を気にして気持ちを押し殺していたのは。押し殺していたことすら忘れかけていた。以前と変わってしまった私を感じて少し苦しくなることが増えていた。
2024年11月16日、沢山のお客さんで溢れかえったライブ会場にいた。会場にいることができるだけで、嬉しかった。「私、元気になったんだ。」そう思って目頭が熱くなったのを感じた。 もともと持病があったが、春に新たに難病が見つかって入院と手術をした。「若いのにね。」そう口にされるたびに、悲しくなった。自分は欠陥品なのかなと思った。インターネットの検索窓に’’〇〇(病名) 大丈夫’’というワードを検索する日々だった。「大丈夫だよ、大丈夫」そんな言葉をかけられることも多かった。「何が大丈夫なんだよ、大丈夫じゃない!」そう強く反論することも増えるほど、メンタルは崩れた。いつも支えてくれているはずの家族や友人が信じられなくなった。誰の大丈夫の言葉も信じられなかった。音楽なんて聴けなかった。クリープハイプの曲も聴く気にならなかった。でも、縋りつくように音楽を聴こうと思った日があった。リズムや曲調が軽やかで、大丈夫だよって寄り添うキャラじゃないと思ってたクリープハイプの「大丈夫」に、小さいころに毛布に包まれて大丈夫だよって言われてたような、安心感を感じた。手術前夜にも、「大丈夫」を聴いた。というかそれしか聴けなかった。元気になったら、ライブに行こうと思っていた。
私は音楽や文学にいわゆる感想にあたるものを書くことを嫌っていた。作者の思想を汚してしまう気がした。国語の文章題で、
「主人公の気持ちを考えましょう。」
そんな問いに、
「そんなの、その人しかわかんないよ。」って思って、ちょっぴり反抗してた子供のときの私と、今の私ちっとも変わってないな。ちょっと笑えちゃう。でも今日は、この企画を知りnoteに書き綴ることにした。なんだかできそうな気がして。
1.ままごと
子供の仕事と表現されている「ままごと」
「このままそのまま二人でいよう」と力強く歌われ、流れるキャッチーなメロディ、だが曲名は「ままごと」であることが最初は不思議だった。「ふたりでいよう」恋愛ソング??クズ男の常套句??と思ったからだ。言葉遊びのように繰り広げられる歌詞に、魅了されて気付いたらリピート再生している。飽きることなくずっと、かくれんぼをしてた、幼少期もこんな感じだったのかなと思った。
子供なのに、なんだか窮屈で大人へ憧れる時期、大人って都合がいいな、って思う時期もあった。大人と子供の対比されている言葉、誰でも一度は悩んだことがあるのではないだろうか。「大人だからちゃんとしなきゃ」と押し殺していた気持ちを思い出させてくれる、私にとってそんなお守りのような曲になった。尾崎さんが、頭を掻きながら、恥ずかしそうに少し困ったような笑みを浮かべている姿を思い浮かべた。
2.人と人と人
今と、過去を対比して聴いた。1日は24時間なのは変わらないのに、全く違う生活、感じ方をしていると思った。
「朝を連れて走り出した 5時」
「赤く滲む気持ち 18時」
「夜と帰る22時」
''クリープハイプらしい''言葉遊びを交えているが、一つ一つが心に響く言葉たちだと思った。こんな拙い言葉でしか愛を表現出来ない私に嫌気が刺してきたな。幼少期、朝5時なんて起きてなかった。5時に起きた日には、母に褒められてたっけ。懐かしいな。18時、夕焼けの中カラスが鳴いていたし、帰宅する時間だった。夜22時、眠いなって思って、寝る時間だった。今はどうだろうか、いつも「寂しい寂しい寂しい」とか言ってる。5時に起きることもあれば、眠れない絶望した5時だってある。18時、友達と会ってたら、楽しいけど、別れが寂しいなって気持ちになる。22時、夜と一緒に友達も帰るし、私の寂しさは倍増して現れる。いつも寂しくて、何をしてても面白くない、幸せってなんだろうって考えるのが、日常になりつつある。人との出会いは始まりだと思うし、人との出会いで、想像もしなかったことが起きたり、人生の糧になると思う。だが、人との縁が切れていくことに、どこか寂しさを覚える。人との関わりは生きてる限りずっとあるのに。「いつか始まる時に架かる桜の橋」その歌詞で、なんだかつぎの始まりにむけて頑張ってみようか、そんな気持ちになった。もっと、もっと、もっとたくさんの人と出会って、色んな経験をして''クリープハイプらしい''とかじゃなくて、もっとちゃんと愛を伝えられるようになりたい。
3.青梅
むわぁっとした湿気の多い暑い夏の日を連想するような始まり方をする。リズムがドキドキした心臓みたいなかんじ。でも、さわやかで「梅」のように聴き終わったあとはさっぱりしているような感じがする。梅の後味、酸っぱいけどまた食べたくなるんだけど、そんな感じ。「青い」は、未熟なイメージがある。青春とかもそう。私は、病気でいろいろなことが制限された中高時代を過ごしたから、青春とかはよくわかんないけど。でも、聴いたあとは、よくわからない感情で、ちょっと胸が痛くなるかんじもあるな、それが青春なのかも?
4.生レバ
3.青梅と4.生レバは、同じ食べ物だけど、全く真逆な食べ物だと思った。青梅はさわやかでさらっとしてる。生レバは粘着質でどろどろしてる感じ。(私が梅が好きで、レバーが嫌いなのもだいぶ考慮されてる気がするのはスルーしてほしい)始めて聞いたときは、ライブ会場だった。特徴的なリズムで炎が燃え盛るようなちょっと不安な焦燥感を駆り立てるような始まり方。そして、生レバと繰り返していた。正直ぽかんとした顔をしてしまった。生レバ????なんで???ってなった。あとそれと、個人的にわたしレバーがすごく嫌い。SNS上で「クリープハイプの生レバって~」なんて評価してる人も嫌いだけど。でも、癖になる曲。生レバって食材を選んでいて、とりあえず食べたい、生で食べちゃだめだけど食べたい、楽して生きていたいって欲望がどんどんあがってる感じで、人間の怠惰さと、傲慢さと、依存と…。人間って最高にキモイな、嫌いだな~~って思ってる私の心情みたいだった、でも私は、牛タンがすきなんだ…。
5.I
最初の「君だったのに君じゃなかった」すごいわかる~~と思って聴き始めていた。私はだいたい好きで好きで好きでって3回言うんだけど、そうじゃなくて大事に、大事に4回言うの、大体どの曲でも4回なの、4人だからなのかな、関係ないのかな?もしかして3回言う私が珍しいタイプ??とか??まあいいや、愛って埋められても埋められても埋まらないと思ってる。埋められても人間ってもっともっと!って欲望あるんだと思う。「君だったのに君じゃなかった」それが反対の欲望を言っているように思えて、最初から愛でぽっかり空いた穴が埋まらないことは分かってて、でも愛が欲しくて。そんな人間の傲慢さが詰まってる歌詞だと思った。その通りだなって、わたしの心の中に秘めたメンヘラ心がひょっこり現れてきた。まずい。
6.インタビュー
めずらしくゆったりした曲だと思った。今までの思い出を振り返っていく曲なのかな~って曲名の「インタビュー」から想像していた。でもよい意味で裏切っていくような曲だった。インタビューは、勝利や快挙を成し遂げた時に行われる。アスリートもこの時ばかりは、努力を世間に認めてもらう機会、周囲への感謝を伝えるになると感じる。だから、発した言葉や内容、涙に注目しがちだが、インタビューを受ける側の心情に着目されている。努力を隠していても努力したことは確かで、努力を笑う人もいるから隠してしまうことも多いと思う。「ダサいから隠すけど君にだけバレたい」 とある。努力を「努力しました!頑張りました!成し遂げました!」とアピールしないところが、謙虚さを感じる。でもやっぱり、認めて欲しい、話を聞いて欲しい人がいるし、頑張ったねって言って欲しい人がいる。そんな人間らしい一面も感じられる。クリープハイプが作る曲に私が励まされている要因のひとつなのでないかと思った。
7.べつに有名人でもないのに
「べつに有名人でもないのに」聞く人によって、皮肉のように聞こえる題名だと思ったが、私は悩みや苦悩でもあると思う。有名人であるが故に悩みがあるはずだろうし、それは私が想像してもしきれないものだと思う。想像しても分からないことは沢山あるけど、想像して同じ気持ちになれるのも、音楽の良い所だと思う。共感と言う言葉で片付けたくないけど、同じ気持ちになって考えて、考えて言葉を噛みしめるのも良い楽しみ方だな。好きな人に好きと言うことすらも有名人だったら、大変なのかもしれないと思った。有名人でもないのに、有名人だと錯覚してしまいそうだ。
8.星にでも願ってろ
私が記憶の中で、星に願いを込めるときは、いつも決まってワクワクしていた時だった。子どもの頃、叶えばいいなあとか思って、星に願いを込めていたな。長谷川カオナシさんが歌唱、作詞を務めている楽曲は、アニメの主題歌にもなっている。アルバム内では、ストレートに幸せを願っているように聞こえる点では、他の曲とは一線を期す。珍しく幸せをストレートに願っていて丸い曲だなと思った。だが、次の歌詞が「でも孤独に寝てますように」と来る。えっえっ?なんて言った?って思った。反対の欲望を言ってるんだと歌詞を見て気付いた。どストレートに反対の欲望を歌詞に詰め込んでいて、溶け込みすぎている。わ、やっぱりクリープハイプだって思って、変わっていないなあって安心してしまう自分がいる。
9.dmrks
ポップで楽しいような曲調で始まるが、「dmrks」の曲名にあるように歌詞は怒りすら詰まっていると思った。インターネットスラングで「黙れカス」という意味の文字の羅列。尾崎さんのMCを聞くと、インターネットでのエゴサーチをよくしている印象を受ける。エゴサーチでの情報をMCを通じてファンに話すようなMCの形式は、最初、電流が走るように衝撃だった。正直怒っているのかなと思った。インターネット上でも賛否両論どちらもあるのを見たし、ネットニュースにだって取り上げられる可能性もあると思う。でも今は、最大の愛だと思っている。怒りはエネルギーを使うし、怒りには期待も含まれていると思う。できると思うから叱るし、注意する。考えて考えて考えた言葉の全てを発言してしまうSNSには、もちろん友達ができたり情報を得ることが出来るメリットもある。危険性もあるし、人を殺せてしまうほどの影響力があると思う。そんな自分が悪く言われているかもしれないSNSを使って、ファンの言葉を探しに行くのは、最大の愛ではないだろうか。ただ、これ以上、「こんなことならしなきゃ良かった」と思わせるのは嫌だな。
10.喉仏
言葉の遊び方が上手く、癖になるようなリズムと言葉の操り方をしていると思う。喉仏とあるように言葉を発する時の、その言葉に、音に、空気の震えに、その全てについて考えさせられる曲だった。言葉は、そのままでも、音楽に乗せて音としても、私がクリープハイプに励まされたように、元気を与えるような力もあるのが、不思議で。でもやっぱり、沢山考えた相手の言葉だから、相手の想いが全部詰まってるんだもんな、って納得する部分もある。
11.本屋の
本屋は今も子どもの頃も私にとって、心躍る場所。この曲にはたくさん数字が盛り込まれている。数字を盛り込んだ曲はラブホテルや同アルバムの人と人と人もあるが、この曲たちは、曲内でそれぞれ部屋番号と時間の1つの関連した数字しか使っていないが、この曲はページ番号だろう番号、日付、買取価格など沢山の数字が盛り込まれている。その点斬新な曲だと思った。本のページを捲るように曲が展開される。私も本を読んでいて、その時の状況を思い出することがあるし、音楽でも同じことがある。本には沢山の数字が出てくるし、曲調も相まって少し焦りすらも感じる曲である。
12.センチメンタルママ
センチメンタルママは、同アルバムのままごとのようにママが何度も使われている。また、11.本屋の と同じく、数字が沢山使われている。でも、本屋のよりも、ママという言葉が使われていたり、子どもの頃のやりとりであろう歌詞の展開に懐かしさを感じる。
13.もうおしまいだよさようなら
「たった一駅分の優しさで愛せてるとでも思ってた?」このフレーズが頭から離れなかった。私は愛を推し量るというか、私のメモリで愛を判断してしまうことに嫌悪感を持っていた。全然歩ける距離を一緒に歩いて、送ってくれるのは優しさなのか、愛なのか、それともどっちもなのか?でももうおしまいだから、関係ないか。
14.あと5秒
あと5秒という曲名をアルバムの最後の曲の前に入れているのは、カウントダウンのようだと思った。スマホの動画(好きなバンドのMV)を、見ているような感じで展開されて行く歌詞。同じ5秒でも動画の広告を飛ばす5秒と好きな人と別れる前の5秒はやっぱり感じ方が違うし、重みも違うと思う。好きな人と別の帰り道が、あと少しの時ゆっくり歩いて、長くこれからもずっと一緒にいれたらなとか思う、それでゆっくり歩いちゃったりして??愛だなあって思った。1つ前の曲の13.もうおしまいだよさようなら、ですごく頭に残っていた「たった一駅分の優しさで愛せてるとでも思ってた?」と真逆の展開と内容だと思った。私はこの問いに結局聞き終わるまでに結論を出せなかったけど、この曲を聴きはじめて、愛せてると思ってた?って思わせてる時点で愛せてなかったんじゃないかなあって思った。
15.天の声
天の声は誰の声なのだろうか、
「君の部屋」「社会の窓」「栞」などの今までの曲名が詰まっているこの曲には、本音が詰まっているような気がした。「君はひとりじゃない」そんな世界中に有り触れたセリフを言うんじゃなくて、「君は一人だけど 僕も一人だよ」って。無責任な優しさとかじゃなくて、いつでも帰って来れるような家族のような暖かさで迎え入れてくれた感じ。子どもの頃、ひとりが怖いとか、人生のこととか考えてなかったけど、「雷が怖い」とか怖さはあった。そんなとき、親が、「大丈夫だよ、こわくないよ」って言ってくれてたっけ。
最後の曲を聞いて再び、幼少期にしたかくれんぼを思い出す。子どもの頃のかくれんぼの楽しさを、ちょっと思い出したような気がする。子どもの頃より今は沢山の経験をして、知識も多い。そんな今だから分かる楽しさも感じた。自分が変わったことに苦しくなっていた私も、なんだか、ちょっとその変わったことも愛せてきた。これからも頑張って生きてみようかななんて、思ってきた。
かくれんぼみたいに私を、私の気持ちを、私の全部をクリープハイプが、このアルバムが、そっと見つけてくれたようだった。「こんなところに居たのか、やっと見つけたよ」って、そう言ってくれたようだった。
「ねえ、かくれんぼみたいにわたしの
ぜんぶをずっとずっとずっ~と見つけてよ」
君ならきっと、私がどこに隠れても、ぜんぶ忘れず1つ残らず見つけてくれるはずだから。
【おわりに】
「大丈夫」
この曲は、誰の大丈夫の言葉も信じられなかった当時の私の心の支えだった。今は、普通の生活はできないけれど、あの頃よりは回復して、周囲の人の感謝も持てる心の余裕もできた。そして、今度は私が誰かを「大丈夫」にできる人になりたい。何をしたいとかじゃなくて、漠然とした夢で、恥ずかしいけれど。