煮干し 【ふつうの料理とちょっとした話|vol.8】
我が家の朝定食が帰ってきた。
納豆卵かけご飯とお味噌汁が毎朝のルーティーンなんだけど、今年の夏が暑すぎたせいで、あったかいご飯と味噌汁を受け付けない体になっていた。
夜寝る前に、小鍋に煮干しと昆布を浮かべて床に就く。
早朝ゆっくりと鍋に火を入れると、骨の髄まで染み渡るお味噌汁が出来上がる。
大袈裟だけど、朝から生きてる感じがする。
じんわり食道を流れていく滋味深い出汁の味わいに、ぶわっとなる。
冗談じゃなく「日本人に生まれてよかった」と口をついて出てくる。
今の私は、自分にとって必要だと感じることに命や時間を使っていこうと思っている。「とりあえず」でお金を稼いだり、気の乗らない仕事で自分を満たすのは、なんだか今はNOなのだ。
今年の初めからずっとぐるぐるしていた。
社会人になって12年、やりたいこともないまま、目の前の仕事にまずは向き合ってみて、そこからやりがいや楽しみを見出すということを続けてきた。
それはそれで評価してもらったし、スキルと自信を身につけることができた。仕事でもプライベートでも頼れる仲間や先輩にも恵まれた。
でも今は、なーんか。そこを離れるべきな気がするのだ。
先月まではずっとずっと、それが怖くて、片道切符のような気がして、踏ん切りがつかなかった。
それが何がきっかけだったんだろう、
今の延長線上にもうこれ以上はないことを悟ったような心境。
加えて、私にもよくわからないけれど、今は漠然とした根拠のない自信から、堂々としている。
「まあ何とかなるだろう」と思っている。
いちばんやりたいことは、陶芸なんだ。
なんの戦略も、経済合理性もない。笑
ただ、目の前のテーマとして浮かんだものがそれだというだけ。
振り返ると、節目節目で私はやりたいと思ったことを、口に出す間もなく諦めてきた。
本当は服飾の専門学校に進みたかったこと、高校の部活で主役を演じたかったこと、大学の軽音楽部ではドラムじゃなくてボーカルがやりたかったこと。
全部あとから負け犬の遠吠えのようにしか、言葉にすることができなかった。
「言ったらどう思われるか」「私なんて」「そんなんでやっていけない」
そんな声が頭の中で鳴り止まなくて、すべて心の中に秘めて生きてきた。
たぶん、今回の陶芸も、それの類なんだ。
きっと、私は創作をしていきたい。
でも自分の経験とかセンスとか、そういうものを言い訳にして、実行に移してはいけないと呪いをかけてきた。
だから今回、私は、このなんの計画性も合理性もない意志を尊重してみるチャレンジをする。
トライした先に、いつか今まで私が培っていたビジネススキルも、Connecting the dots する日がするような気がする。
コーチングも、そういうクライアントさんに関わりたいと思っている。
ずっと何かに蓋をして生きてきた人。
自分の本当の願いに少し気づき始めている人。
自分で自分を窮屈なところに押し込めている人。
男性性というガチガチの鎧で自分を守って、怯えながら生きる人。
私自身、そこにいるときは、自分の状態に気付いていなかったように思う。
居心地が良いと思っていたけど、私の場合はほころびが出てきて、そこからはじめて問いがたった。
まだまだ私も発展途上だけど、最近はやわらかさが増したねとか、堂々としていて存在感が大きくなったねとか、生き直しているみたいだねという言葉をかけてもらったりしている。
体感としては、いろんなことにいい意味でケリがつけられる場面が多くなって、強い怒りや悲しみを抱いてきた一つひとつの事柄と、共にいられるケースがちょっとずつ増えてきたように思う。
ひとりでは、絶対にたどり着けない場所があると身をもって知っているから、コーチという人を頼ってみてほしいと思う。
煮干しのお味噌汁が確かめさせてくれる「生きている感覚」の話。