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妖怪よりも観覧車が怖い

この前、息子とひらパーの観覧車に乗った。
が、もう二度と乗らないかもしれない。

というのも、怖かった。けっこう、いや、かなり。
高所恐怖症ではないはずだったが、軽いソレにはなってしまっているみたい。

息子と二人きりのゴンドラの中で、「ほうら、すごいええ景色やー!」と笑う。
でもその内心は、「(アッ、ナンカ……。エッ…?ちょっと怖いぞ…?)」が小さく波風を立てていた。
と、どんどんその気持ちが膨らんできて。

「(アッ、俺これアカンわ。ちょっと、怖い。アカン、むっちゃ怖いかもしれへん。えっ、嘘やろ。俺、アカンわ。観覧車アカンのか、俺。なんやこれ。怖いぞ。リスクが。死のリスクが、ものすごいやんけ、これ。アカン、落ちる気がする。落ちるときの、身体が浮遊する感覚が、そのイメージが、鮮やかに脳裏をよぎりすぎてる。いざというときの致死率が高すぎる。高すぎた。ちょっと、アカン、はよ、もう、はよ終わってくれ。ちょっともう、ええわ。乗らんわ、もう、二度と)」
という状態になっていた。

ただ、息子の初めての観覧車体験を良くないものにしたくなかったので、その怖さは決しておくびにも出さず、「キレイナ ケシキ ヤナー」と言い続けた。

まさか自分が観覧車を苦手になってるだなんて思いもしなかった。
まあそう頻繁に乗らんしなぁ、こんなもん。
虫とかも、いつどのタイミングに苦手になったかなんて、覚えてないし。
しばらく離れてて、気づかないまま苦手になってることってあるんでしょうねぇ。

***

ひらパーには、「ゲゲゲの妖怪100物語」の展示イベントを目当てに訪れた。

息子は家で「ろくろっくび~がなんたらかんたら~♪」というような歌を良く聞いているし、電車でこの展示の広告を見たとき、「あ、妖怪しようかいだ~」と注目していたからだ。

もしかしたら怖がるかなと思いつつ、「今日は妖怪でも見に行くか?」と尋ねたところ、「行く」というので、スマホでチケットを買って向かった。

ところがその道中で、「妖怪、イヤ」と言うようになって、焦った。
「ええ、うそおん。妖怪見たくないの?」と聞いても、「え、妖怪、イヤ」と返す。
やっぱりオバケ的な存在だとわかってはいるのだろう。

これはまずいかもなぁ…と思いつつ、さすがにチケットを無駄にするわけにはいかないので、とりあえずは入ってしまえと決断。
泣き叫ぶようなら中断すればいいし、レッツチャレンジだ、と入場。

息子は泣きはしなかったが、この展示、まあ怖かった。
「イヤダー!!」と叫ぶようなことはなかったが、おどろおどろしい照明と音響に、息子はずっとやんわり引いていた。「……ナンナノ~?」という感じ。
もう少し成長していたら泣き叫んでいたかも。

でも、決してお化け屋敷ではないから、完全にビビりきるタイミングも微妙にない。誰もビックリさせようとはしてない。
ほんとになんか、ずっとジンワリ怖い感じ。
っていうかまさに水木しげるの絵の感じ。
どこかマヌケさみたいな、スカシみたいなトーンを伴いつつも、全然ガチな感じ。
どれだけギャグ的に振る舞おうが、熱量みたいなものが高すぎて、存在に対する怨念とか情念を隠しきれてない感じ。

駆け足で進んでいく息子について行ってたら、10分くらいで出口まで辿り着いちゃって、さすがにもったいねーなーと思ってたら、その頃には息子は慣れていて、自分から踵を返し(逆走。多分やっちゃダメな動き)、もう少しゆっくり見て回ることができた。
展示のメインは100物語という文章の展示なので、子どもは読めない。
僕も2、3個の物語しか読めなかった。しかも内容も記憶にない。
立体展示物だけをサクサク見ていくと、たしかにアッサリ終わる。

しかしコレ途中でさ、雪女のコーナーみたいなのがあんねんけどさ。
展示を見てると、その背後に雪の化け物の立体物が位置するコーナーがあって。

その雪の化け物がさ、背後でさ、急に動きやがんの。
鈴を鳴らして。歩いてきやがんの。
人だったの。まさかの。
お化け屋敷みたいなノリで。ゆらーッと歩いて近づいて来てやがんの。
こっちが前方の展示物を見ている隙に。背後から。

さすがに笑ったね。怖すぎて。
息子が気が付く前に俺が先に気が付いて、「アハハハハ!こわすぎるやろ!!!」と笑ったので、息子もそんなにビビらずに済んだ。
これ多分俺が先にアラート挙げてなかったら息子アウトやったわ。
っていうか俺が叫び声あげへんくて良かったわ。
隣におるのが息子じゃなかったら、平気で「ウワー!!!!!!」ゆうてたと思うわ。

まさかそんなことを仕掛けてくるとは。
しかし、あるのとないのとで大違い。満足度は爆上がりした。

***

いやあ、それにしても。
妖怪の展示と観覧車、どっちが怖かったかと言えば、圧倒的に観覧車だった。

もう僕に、オバケとか、そういうものを信じる力はない。
金属の経年劣化とか、ネジのゆるみとか、そういうものを疑う力だけが育った。
悲しい。

オバケなんて、重要な部品の致命的な欠陥に比べれば、なんにも怖くない。

俺たちはいつだって、重要な部品の致命的な欠陥が怖いのである。

『重要な部品の致命的な欠陥なんてないさ』
作詞:福谷圭祐

重要な部品の致命的な欠陥なんてないさ
重要な部品の致命的な欠陥なんてうそさ
ねぼけたひとが みまちがえたのさ
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
重要な部品の致命的な欠陥なんてないさ
重要な部品の致命的な欠陥なんてうそさ

ほんとに重要な部品の致命的な欠陥が でてきたらどうしよう
れいぞうこにいれて かちかちにしちゃおう
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
重要な部品の致命的な欠陥なんてないさ
重要な部品の致命的な欠陥なんてうそさ

重要な部品の致命的な欠陥のくにでは
重要な部品の致命的な欠陥だらけだってさ
そんなはなしきいて おふろにはいろう
だけどちょっと だけどちょっと
ぼくだって こわいな
重要な部品の致命的な欠陥なんてないさ
重要な部品の致命的な欠陥なんてうそさ

(了)

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