強くない自分を愛している。
少し前までは、競争社会に奮起してエンジン全開に突っ走ることができた。
環境のせいもあったが、他人と比較しては自分の欠点ばかり目をつけてどんどん上によじ登っていく。
周りの人からは『強いよね、ライバルなんていないと思ってるでしょ』と言われた。
嫌味ながらも、そう言われることは内心嬉しかったりした。
だって実際すごく努力してるし、負けたくないし、汚い手使ってるわけでもないの。何が悪い?という感じ。
今は、ずっとその内側にひっそりと存在していた、たいして強くない本当の自分を愛している。
たしかに負けず嫌いな根本的性格は変わっていないが、争いでなく互いの尊重と調和を重じている。
いい意味での諦めというスキルもついたと思える。
最近ようやくに正体を現したこの強くはない自分というのは、気にしいなところ・すぐ涙が出るところ・人の言葉に影響を受けやすい…などまるで大人になりきれない子どものようだ。
決して人前で堂々と言える類ではないとわかってはいる。
ただ、自分の中にある正体もまた自分なわけで、それを受け入れることで他人も許したり受け入れたりできるようになるのではないかと思う。
それが例え認めたくない正体であろうと。
新卒で業績も評判も輝いていた当時の私にしてみたら、気の弱い自分なんて許せなかったし、そんな事は考えたくもなかった。
人に対しても壁を作って孤立していた。孤立していた事すらもかっこいいと思っていた。
でもあるときいきなり適応障害になって身体も心も正常に機能しなくなって、本当に脆すぎた自分を初めて知った。そして色んな人に甘えて助けを借りて救ってもらったおかげで全部が身になっていることを痛感している。
だから感謝をしっかり言葉で伝えたいし、誰かに対して柔らかくあたたかくいたいと思っている。
二つとも極端で、二つともいいところ。
一つの体に二つのいいところがある。
こうやって思える。
人間完璧な人なんていない、というフレーズは痛いほど耳にしていると思うが、私は身に染みてわかる出来事があったからこそ、まさしくその通りだと思う。
自分自身が完璧ではないから、全部を愛することができるし、自分と違う他者も許すことができるようになる。
わざわざ人を批判したり責めたりする必要がなくなる。
世界がそうなればいいと思うけれどそうはいかないから、せめて自分の周りはそういう人でいっぱいにして居場所を作りたいとおもっている。