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900gで出生していた宇野昌磨さん、家族に希望を与えるメッセージ

5年前、ある新生児科病棟にメッセージと花束が届きました。「900グラムで生まれた私から、子育てを頑張っている皆さんへ――。」これは、フィギュアスケート男子の五輪メダリスト、宇野昌磨さん(26)からの電報でした。その言葉は、NICU(新生児集中治療室)で生まれた赤ちゃんとその家族を励まし続けてきました。
(※2024年5月13日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

宇野昌磨さんからの励ましのメッセージが・・・

名古屋市の日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院(八事日赤)の新生児科病棟。産科の病棟から赤ちゃんが処置を受けるNICU治療室へと続く廊下には、そのメッセージが掲示されています。

《21年前、900グラムで小さく生まれた私がここまで来られたのも、両親の諦めない前向きな愛情のおかげです》

2019年10月、同院に電報と花束が届きました。その前年、平昌オリンピックで銀メダルに輝いた名古屋市出身の宇野昌磨さんは、自らも「超低出生体重児」として生まれ、別の病院のNICUで入院経験があったということです。

宇野昌磨さんの心温まる贈り物と励ましの言葉

八事日赤の新生児科元部長、田中太平医師によると、宇野さんはNICUを卒業した子どもたちの「同窓会」が同院で開催されていることを伝え聞いていました。「同窓会に出席したかったが、忙しくて出られない」として、メッセージと花を寄せてくれたそうです。

このほか、2022年の北京五輪後には宇野さんから贈られたスケート靴、写真パネル、NICUに入院していた赤ちゃんの頃の宇野さんの写真も飾られています。

「ここを通るお母さんたちは『小さく産んでしまった』と自責の念を抱えてしまっているんです」と、同院NICUの看護師、坪井有美子師長は語ります。

宇野昌磨さんのメッセージが家族に希望を与える

NICU、そして状態が安定した新生児を受け入れるGCU(新生児回復室)へと向かう途中の廊下にある宇野さんのメッセージに、多くの母親や家族が足をとめてきました。

《生まれた時は生きてさえいればと言われた僕も今ではアスリートとして成長しています》

坪井師長は、「宇野さんも小さく生まれたけれど、こうして世界で活躍してこられた。ここを通る多くの家族たちの力になってきました」と語ります。

この病院では年間約400人の赤ちゃんが入院します。年1回開催される「NICU同窓会」には、ここを「卒業」した150人ほどの子どもとその家族が集まります。

宇野昌磨さんの歩みが照らす未来

《成長の何もかもが遅く両親は心配ばかりしていました》。そんな「僕」が、世界へ羽ばたいた――。宇野さんの歩みが、NICUで生まれた赤ちゃんとその家族の未来を明るく照らし続けてきました。

宇野さんは今月9日、現役引退を表明しました。2019年、2022年と続いてきた病院と宇野さんの交流ですが、コロナ禍もあって「NICU同窓会」への宇野さんの出席はまだかなっていません。

田中医師はこう語ります。「これまでみんなに夢と希望を届けてくれました。いつか、競技生活のことや小さかった頃のことを同窓会に来て話してほしい。子どもたちや家族のさらなる励みになると思います」

宇野昌磨さんのメッセージ全文

はじめまして、宇野昌磨です。子育てに頑張っている皆様へ
知人から僕と同じように産まれた子が集まる会が有ると聞き、どうしても応援をしたく電報を送る事にしました。
21年前900グラムで小さく産まれた僕がここまで来れたのも、両親の諦めない前向きな愛情があったおかげです。成長の何もかもが遅く両親は心配ばかりしていました。言葉が遅くても小さい頃の事は少し覚えています。
皆さんのお子様も小さく産まれた事をハンデに思わず、個性として成長を楽しんで下さい。子供たちは記憶に残るのが母の笑顔だと嬉しいと思います。
産まれた時は生きてさえいればと言われた僕も今ではアスリートとして成長しています。
お子様の未来の可能性を応援しています。
平昌オリンピック銀メダリスト
宇野昌磨

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