【癌日記45日目】主治医の先生との対話抗がん剤治療中の考え方、西加奈子さんの「くもをさがす」読了/卵巣癌・子宮体癌
手術後の説明のあと、ステージ2以上の卵巣がんと子宮体癌というのはなかなか受け入れられなかった。
つらいことといいことの両方が一緒におこる
気持ちを少し変えるきっかけは「そうだった、この手術では開けましたけど何もとれませんでした」と言われるのが最悪のことだと想定したんだ、それに比べたらかなりいい。
旅行前になんとなく違和感があって病院に行ったら「卵巣がんの可能性が高い」といわれて約1カ月でここまでこられたんだ、急転直下だったけれど、考えられる中で最高のことが続いている。
あまり前向きな考えかたではないかもしれないけれど、悪いことだけでなくていいことも一緒に起こっていると考えると少し気持ちが動く。
少し気持ちが動いていくと、そこから少しずつ気持ちが前へむかっていく気がする。人間ってそうそうつらいことばかりを考えてはいられないのかもしれない。
先生から聞いた抗がん剤治療の注意点
抗がん剤治療について先生に言われたことを思い返す。
抗がん剤治療3~4週間おきに6クール
抗がん剤治療は日帰りで
抗がん剤を打って3日目が一番強い
抗がん剤を打って12~13日目骨髄抑制がピークになり白血球が減少するので人ごみをさける
資料やメモを見返していると先生がもう一度病室をのぞいてくれた。「どう大丈夫? 寝られそう? 寝られなかったら睡眠薬も出せるよ」と、声をかけてくれた。
睡眠薬を出す必要があるかみにきてくれたのかもしれない。
「大丈夫です。想定内のことも多かったし、あとは抗がん剤の効果がまずは出ることを願うということも理解して落ち着きました」と答えた。
抗がん剤治療中は生活を縮小したほうがいい?
「骨髄抑制のことを考えると今年は子どもの文化祭や体育祭はあきらめて来年いこうと夫と話したんです」と続けた。
それに対して先生は「そうだね。だけどまだ病理の結果をみないと卵巣がんの種類の確定はできていないし、抗がん剤が絶対に効くかどうかもわからない。『できることはなるべくやっていく』というのがいいと思うよ」
「次が絶対にあるとは誰にも言えない。文化祭や体育祭の日に骨髄抑制の日が重ならいように調整しよう」
この話を先生としたとき、がんと共存して生きて行くということは、全部が完璧になってから何かをするじゃなくて、やりたいことを調整しながらやっていくことなのかもしれない。
西加奈子さんの「くもをさがす」
先生と話した後、コロナ禍に乳がんの闘病をカナダで経験した西加奈子さんの「くもをさがす」というエッセイを読んだ。
これを読むと、日帰りの手術にはじまり、自宅で飲む痛み止めも薬局に撮りに行くカナダの壮絶な医療体制にガツンとやられる。
西加奈子さんのエッセイでは手術の後も抗がん剤治療もパジャマで先生の指示に従うものではない分、自分の病気と向き合う自己責任具合がすごくて、自分ですべてを調整しながら、癌であっても自分の子とは自分できめる、やりたいことはやるという内から湧き上がる人間のパワーを引き出しているようにも感じた。
このエッセイは日本の一般的な癌のエッセイとは全くちがう。
最近読んだ癌関係の書籍
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