【カンボジア観光BEST100】アンコールワットではじめて来た日本人の足跡を見つける
アンコールワット——この名を聞くだけで、多くの人が壮大な寺院群とその歴史に思いを馳せます。この神秘的な場所は、世界中の旅行者を魅了し続けています。
そんなアンコールワットには初めて訪れたとされる日本人の足跡が残っています!
アンコールワットとは?
アンコールワットは、12世紀にクメール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって建設された壮大なヒンドゥー寺院です。後に仏教寺院としても利用され、現在はカンボジアの国の象徴となっています。
アンコールワットでは子供も大人も古代の歴史や文化について学ぶことができる素晴らしい体験ができます。
初めてアンコールワットに足を踏み入れた日本人
アンコールワットには、多くの歴史的な足跡が刻まれていますが、その中で私たち日本人にとって特に興味深いのが、1632年にはじめてこの地を訪れた日本人の存在です。
彼の名は平戸藩士・森本右近太夫。
17世紀にこの地を訪れました。アンコールワットの壁には墨で書かれた彼の名前が刻まれており、その痕跡を実際に目にすることができます。
森本右近太夫はアンコールワットにどんな落書きをしているの?
父を亡くした森本右近太夫は父菩提を弔うためにインドの祇園精舎に向かう決意をし、アンコールワットを祇園精舎だ本物の考えていたと言われています。
アンコールワットを祇園精舎と考えていた森本右近太夫
朱印船貿易でアジアの各地に日本人町がつくられていたころ、当時の大名や商人たちが夫婦や集団で祇園精舎詣をすることがしばしばあり、水戸の彰考館に伝わる「祇園精舎図」がアンコールワットの図であるとされていることからも当時の地位がある人達の一人が父の菩提を弔うためにアンコールワットを訪れようと考えたことはそれほどとっぴなことでもなかったかもしれないと考えられるという記事もありました。
上記の「アンコール・ワットに墨書を残した森本右近太夫一房の父・森本義太夫の墓を巡って」には、アンコールワットを訪れた森本右近太夫についてはよく来歴がわかっていないものの、父の森本義太夫は加藤清正の武将として著名な人物で城普請でもその名を知られていたと書かれています。
飛行機でもトランジットを含めて10時間を超える距離のアンコールワット! 江戸時代の人はどのような気持ちでここまでやってきたのでしょうか。歴史の教科書では得られない生きた歴史を感じる気持ちになりました。
自分で森本右近太夫の痕跡を見つけるのはすこし難しい ガイドツアーがおすすめ
森本右近太夫の落書きは、ガイドさんに場所を指で指示してもらっても見つけるのが難しいものがありました。
また、現地のガイドツアーに参加すると歴史や文化に関する詳細な説明を聞くことができ、より深い理解を得ることができます。ぜひ、ガイドさんと一緒に回ってみてくださいね。
アンコールワットへの旅を計画しよう
アンコールワットは、家族全員がその壮麗さと繊細な彫刻に目を奪われる歴史的な遺跡。実際に歴史や文化に触れることができ、貴重な体験となります。
森本右近太夫の足跡を辿ることで、日本とカンボジアのつながりを感じ、異国の地での日本人の歴史に思いを馳せることができます。
アンコールワットの壮大さと歴史的な価値を体感し、家族での素晴らしい思い出を作るために、ぜひ一度訪れてみてください。アンコールワットへの旅は、子供にも大人にも忘れられない経験になりますよ。