ラダック⑧ ラマユル編 -vol.1-
2011/09/22
ダーを出て、ラマユルに向かう。ラマユルは大きいゴンパがあって、月面に降りたかのような景観らしく、とても魅力的だということで楽しみにしていた。
ダーからラマユルに行くには、ちょうどレーへ戻る途中にある。わたしの計画していたルートは、ダーからラマユル→アルチ→カルギル、その後シュリナガル抜けしようと考えていた。
しかしながら、とっても効率が悪い。食中毒で出遅れたため、パーミッションの関係でダーを優先する日程にしなければいけなかったから、仕方ないんだけど...。
ダーからラマユルに行くには、カルシというところで一度バスを乗り換える必要がある。
カルシには着いたものの、オフィスらしきところもないし、いつラマユル行きのバスが来るのか誰も知らない。現地の人に聞くよりも、こういう時は欧米人の観光客の方が詳しかったりするので、欧米人に聞いてもみたが、みなさん何も情報を持っていない。そのうち来るんじゃないかな...みたいな。
それぞれの行きたい場所への予定も立たぬままに、じっと次のバスを待つのみ。なかなかすごい状況だと思う。
途方に暮れたまま、お菓子を食べたりして待っていると、ラマユル行きのバスが来たよ~と欧米人の方が教えてくれる。意外と早くてビックリした。インドは一寸先は闇であり、光である。
旅の間に、わたしが作った格言。がっかりしていると、その次の瞬間状況が一転し、さらにまた一転したりする。
とりあえず、ラマユル行きのバスに乗り込み、ラマユルまで行く。バスの中は数人の観光客とラマユルに滞在しているラマや現地の人でまたもやギュウギュウ詰めであった。大きなザックはお菓子のパックやらのゴミと砂まみれの椅子の下に潜り込ませる。人間は状況にあわせて、だんだんいろんなことをあきらめるようになれるものですね。(笑)
ラマユルに着くと、ゲストハウスの勧誘の方々が5人ぐらい待っていた。ここは結構観光地なんだと思う。しかし、今はシーズンを少し過ぎた頃なので、宿やお店やレストランも閉まっているところが多かった。
とりあえず、すぐに荷物の重さに負けてしまうわたしは、一番バス停から近そうな『Homestay』という宿に行ってみることに。
家族経営で子どもがチャキチャキしていて、値段交渉も親顔負けである。
お母さんもお父さんも人の良さそうな感じで、お部屋もダブルベッドで広さもまぁまぁで、200を180にまけてもらったのでここに決める。どっちかというと、荷物をまた持って移動するのが無理だった。
今回の荷物には8mmカメラとフィルムが15本入っているので、宿探しの時がなかなか厳しい。
同じ宿には、ポーランド人の男の人1人と、オーストリア人の2人の男の人も泊まることにしていた。
みなさんと、宿のご家族と、お茶を飲みながらしばしの歓談。
お父さんはハイテンションで、お調子者な性格っぽい。お母さんは明るいけど、時間があるときは常に手にマニ車を廻しながら、お経を唱えている。
子どもたちは3人いるみたいだけど、2人は学校にいるみたいで、この時は一番上のお姉ちゃんだけしかいなかった。お姉ちゃんは英語が堪能で、わたしなんか簡単に転がせそうなほどの流暢な英語を話す。
17、8歳ぐらいのすごくかわいい子だけど、気も強い。
この周辺のレストランはシーズンオフのため、みんな閉まっているので、必然的に家で3食ご飯を食べることになる。居間でみんなでご飯を食べるので、ひとり旅のわたしもすごく楽しかった。
それぞれ、事前に何を食べたいか言っておいて、その時間になったら出してもらえる。
ラマユルのゴンパは宿から歩いて10分ぐらいだけど、わたしは疲れていたので、今日は行かないことにした。屋上にあるバスルームでシャワーを浴びて、溜まっていた洗濯をすることに。
そんなに暑くはないぐらいの気候の中で、昼間とはいえ水シャワーは結構つらい...。電気も昼間はない。
夜の8時ぐらいから、3時間ぐらいしか電気はないので、その間に充電なども一気に済ませる。
でも、ないと思えばないなりに、どうにか生活できるもの。普段、贅沢な暮らしをしていたんだなぁと感じる。ラダックでは、本当に電気が少なくて、停電はしょっちゅうだった。宿のお部屋には必ずと言っていいほど、ろうそくが常備されている。ろうそくの火で生活するのもなかなかいいもの。
夕食には、モモとツゥクパをお願いした。すごくおいしかった。
お父さんが、もっと食べろもっと食べろと次々に継ぎ足していく。
遂には、他の人が頼んでいたチョーメン(焼きそば)までも頂いてしまった...。
この宿の食後のチャイがすごく美味しい。
夜になっても、外から羊かヤギかロバの寝言みたいなのが聞こえてきて、おもしろい。
なかなか楽しい場所だ。
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