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"自分らしく生きる"ということ

2012年にキドックスをNPO法人化し、今年で活動も早9年。
来年で10周年を迎えるにあたって、これまでの現場での活動を通じて見えてきた新たな課題や必要な事業などを改めて見直す必要を感じ、団体立ち上げ当初の想いや目的からも少し変わってきたように感じていたので、団体のビジョンやミッションをリニューアルすることにした。
2021年2月頃から、団体メンバー間で理念や事業内容に関するワークショップを開始し、細かい部分はまだまだ詰める必要があるものの、ようやく大まかな形がまとまってきたように思う。
その中で、団体設立当初からも、今現在も、理念も価値観も含めてブレない部分があることに気づいた。

それが、キドックスのビジョンの中にある「その人らしく」「その仔らしく」という言葉。

ビジョンで「その人らしく」を掲げているから、団体メンバーこそまずはその理念を体現すべく「自分らしく」生きていることが大切だと感じる。
私もビジョンミッションのリニューアルにあたり、改めて自分らしく生きてれているか?を、過去を振り返りながら、今の自分自身に問い直した。

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小学校1年生の時に、両親が家を新築したため、隣村へ引っ越した。
当時、まったく知らない人がたくさんいる中でどうやって友達を作っていいのかわからず、帰り道も迷いながら一人でどうにか帰宅したのを覚えている。どういう流れだったか忘れたが、1人だけ、近所に住んでいる仲良い友人ができた。とても嬉しかった。
だがある日、学校に行くと、クラスのみんなに話しかけても無視されるようになった。どうして無視されるのかがわからず、唯一仲が良くなれた友人に、何で話してくれないのかを聞いた。無視された。
その後、誰もいない場所で、その友人から話しかけられた。
「クラスのみんなが指を口元に持ってくるサインをしているでしょう。それは、あなたとは会話しちゃいけない合図なんだよ。みんなの前で話しかけられると困るんだよ。」
学校のクラスで度々起きる「仲間外れ」というやつだ。
ただ、それは悪質に長く続くいじめのようなものではなく、数日間私がそのターゲットになった後は、今度は別の子にターゲットが回って、またさらに別の子に回り・・・というような状況で、その状態は長くは続かなかった。

だが、当日まだ小学生だった私は、幼いながらも
「人間て怖い生き物だ」
と感じ、それとついでに
「仲間外れは恐怖だ。みんなの顔色をうかがって、嫌われてはいけない。好かれないと、相手が求めていることをしないといけない。」
なんてことを考えるようになった。
小学生ながら、たくさんの友人たちに囲まれつつも、心のどこかでは相手の顔色を見て気に入られる会話技術を徐々に身につけていったように思う。

私のこの原体験は、心のどこかに深く根を張り、
どこか、「相手の顔色を気にする」「人に見られている気がする」「自分が思っていることを正直に言ったら嫌われる」というような感覚がつきまとって生きてきた。ただ、私を直接知っている人からは、私がそんな風に感じていること自体が意外で、そうは見えなかったようで、周囲からはそう思われていることが自分にとっては救いだった。

私がキドックスという団体を立ち上げ、子どもや若者や犬の支援を始めた理由も、この原体験が大きく影響している。この経験がなかったら、私は全く違う人生を歩んでいたとも思うから、今では肯定的に捉えている。

しかし、いざキドックスの活動をするにあたって、相手の顔色をうかがってばかりはいられない。
必要な意見は言わないといけないし、それは若者にも、職員にも、関係機関にも、社会にも、これだけは言わないと、ということは勇気を出して言ってきた。ただ、私にとっては、1つ1つがかなり勇気がいることの繰り返しだった。
そして、勇気を振り絞る分、伝えることは伝えるが、相手に配慮をした表現、一般的に正しいと思われる表現、に気を遣いすぎて、正直疲れていた。疲れてくると、発信が楽しくなくなるので、発信も絶対に必要なところだけやって、できる限りは控えていた。
NPOという立場もあって、炎上もしたくないし叩かれたくないという気持ちもあった。

そんな中、最近、コミュニティデザイナー兼社会福祉士である山崎亮さんのyoutubeを見ることにはまっていて、ふと気づいた。山崎さんは、若い頃はとがっていて、嫌われてもいいから言いたいことをいう、というスタイルだったそうだが、35歳の時に「Yes,And(イエス・アンド)」という、まずは相手を受け止めてそれから自分の意見を伝えるスタイルのファシリテーションを学び、そこから人との関り方を変えっていったという。

私は真逆の人生を生きてきた。まずは相手を受け止める。その後に自分を出すことを諦める時も多かった。
嫌われてもいいから言いたいことをいう勇気がずっと欲しいと思っていたけれど、山崎さんの話を聞いていたら、自分のスタイルそのものは悪くないんだと思い始めた。そうすると、なんだか「嫌われることはめっちゃ怖い」自分のままでいいんだなと思って、そんな不完全な自分も含めて自分で、それも含めてもっと伝えて出していっていいんだ、良い子ぶりっこする必要もないんだ、なんて思い始めた。

「自分らしく」とは、自分がこうありたい正しいと思う姿を目指すことではなくて、ありのままの自分を受け入れて認めてあげることなのだと思う。
不完全で、ダメダメな自分も、自分。
ダメダメな自分をどうにかしたいと叱咤激励する自分も、自分。
昨日思っていたことが、今日は全然違う考えになっていても、昨日の自分も今日の自分も、どちらも自分。

ちょっとした言葉選びもまだまだ気になってしまう部分もあるし、勇気を出して言いたいことを言ったあとは「相手は本心はどう思っているのかな」「本当は別のことを思っているのでは」「どう感じたかな」などもちろん気になるけれど、それも自分。


そんな小心者の私を、「配慮があるね」という表現で受け止めてくれる温かい仲間がキドックスにいる。私が私らしくいられるコミュニティが身近にあるありがたさ。キドックスの団体メンバーにとっても、キドックスがそんな組織でありたいと思うし、それを自ら作っていきたい。

私自身が私らしくいられることが、きっと、他者がその人らしくいれることを受け入れ認められることに繋がり、私の人生で関わる人や動物たちがその人らしくその仔らしく生きれることを、心から応援できると信じている。

来年の2022年でキドックスも10周年。
新たな理念を掲げて、私自身も「自分らしく」、
新たな事業を通じて、人と動物たちが「その人らしく」「その仔らしく」豊かに生きられる社会を作っていきたい。

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